孤高の弁護士は、無垢な彼女を手放さない
数日後の午後、紬のもとに会社経由で連絡が入った。
「月島総合法律事務所の一条弁護士から、大橋健一の件について、直接説明したいことがあるとのことです」
上司の片山が伝えるその声は穏やかだったが、紬の指先は一瞬、書類の角を掴み損ねた。
(……また顔を合わせることになるなんて)
心の準備もできていないまま、紬は冷静を装ってうなずいた。
「わかりました。必要資料をまとめてから伺います」
すでにメールで共有されていた書類に加え、社内でやりとりされた報告メモを揃える。
それをクリアファイルに丁寧に挟み込んでいると、茜がそっと近づいてきた。
「……ねえ、また月島事務所? あの一条さんとこ?」
紬は努めて表情を変えずに答えた。
「うん。大橋健一の件で」
「そっか……でもさ、無理しないでよ?」
すぐ横から、あかりも心配そうにのぞきこむ。
「ほんと。何かあったらすぐ連絡して」
「ありがとう、大丈夫。仕事だから」
そう言って会社を出たものの、胸の奥では――大丈夫、なんかじゃなかった。
月島総合法律事務所に着くと、受付に名前を告げた直後、すぐに案内された。
応接室のドアをノックすると、中にいたのはもちろん、一条だった。
「お忙しい中ありがとうございます」と一条が先に口を開く。
「いえ、こちらこそご連絡いただきありがとうございます」
形式的なやりとりのあと、彼は資料を机の上に広げながら、淡々と話し出した。
「大橋健一の件ですが、つい先ほど、警察から正式な通達がありました。示談そのものが取り下げられたとのことです。理由は――」
彼の口から語られたのは、想像以上に非常識な事実だった。
大橋は、示談相手の自宅に“直接話し合いに行く”という行動に出たらしい。
しかもその際、相手宅のインターホン越しに執拗に呼びかけ、結果的に相手が警察に通報。
その後、警察署において「相手にこれ以上関わらないよう厳重注意」を受けることになったという。
「このような状況から、警察側も示談の前提が崩れたと判断し、正式に『刑事手続きへ進む見込み』と通告しています」
紬は、その内容に驚きながらも、「やっぱり……」とどこか納得していた。
あの男は、常識の通じる相手ではなかった。
あの日の圧力と怒鳴り声が、まだ耳に残っている。
「それで、会社としての次の対応を確認したくて、お呼びしました」と一条は言った。
それは確かに紛れもなく、仕事としての正当な呼び出しだった。
けれど、どこかに、ほんのわずかに――個人的な意図が混ざっているようにも、感じてしまった。
それを紬自身、認めたくはなかったけれど。
「月島総合法律事務所の一条弁護士から、大橋健一の件について、直接説明したいことがあるとのことです」
上司の片山が伝えるその声は穏やかだったが、紬の指先は一瞬、書類の角を掴み損ねた。
(……また顔を合わせることになるなんて)
心の準備もできていないまま、紬は冷静を装ってうなずいた。
「わかりました。必要資料をまとめてから伺います」
すでにメールで共有されていた書類に加え、社内でやりとりされた報告メモを揃える。
それをクリアファイルに丁寧に挟み込んでいると、茜がそっと近づいてきた。
「……ねえ、また月島事務所? あの一条さんとこ?」
紬は努めて表情を変えずに答えた。
「うん。大橋健一の件で」
「そっか……でもさ、無理しないでよ?」
すぐ横から、あかりも心配そうにのぞきこむ。
「ほんと。何かあったらすぐ連絡して」
「ありがとう、大丈夫。仕事だから」
そう言って会社を出たものの、胸の奥では――大丈夫、なんかじゃなかった。
月島総合法律事務所に着くと、受付に名前を告げた直後、すぐに案内された。
応接室のドアをノックすると、中にいたのはもちろん、一条だった。
「お忙しい中ありがとうございます」と一条が先に口を開く。
「いえ、こちらこそご連絡いただきありがとうございます」
形式的なやりとりのあと、彼は資料を机の上に広げながら、淡々と話し出した。
「大橋健一の件ですが、つい先ほど、警察から正式な通達がありました。示談そのものが取り下げられたとのことです。理由は――」
彼の口から語られたのは、想像以上に非常識な事実だった。
大橋は、示談相手の自宅に“直接話し合いに行く”という行動に出たらしい。
しかもその際、相手宅のインターホン越しに執拗に呼びかけ、結果的に相手が警察に通報。
その後、警察署において「相手にこれ以上関わらないよう厳重注意」を受けることになったという。
「このような状況から、警察側も示談の前提が崩れたと判断し、正式に『刑事手続きへ進む見込み』と通告しています」
紬は、その内容に驚きながらも、「やっぱり……」とどこか納得していた。
あの男は、常識の通じる相手ではなかった。
あの日の圧力と怒鳴り声が、まだ耳に残っている。
「それで、会社としての次の対応を確認したくて、お呼びしました」と一条は言った。
それは確かに紛れもなく、仕事としての正当な呼び出しだった。
けれど、どこかに、ほんのわずかに――個人的な意図が混ざっているようにも、感じてしまった。
それを紬自身、認めたくはなかったけれど。