孤高の弁護士は、無垢な彼女を手放さない
「……ですので、被害者側への謝罪文の再送や、会社としての正式な対応の文案を、改めて協議する必要があります」

そう言って、一条は視線を資料から紬へと移した。
以前よりも――少しだけ、柔らかくなったように見える目つき。
声のトーンも、どこか静かで、冷たさに包まれていたあの頃の“尖り”が、少しだけ削がれている気がした。

(あれ……?)

気のせいかと思ったが、目の前の彼は、確かに変わっている。
数週間前、初めて会ったあの日のような、事務的で一線を引いた鋭利な空気が、今日は少しだけ――緩んでいた。

「ご負担をかけて申し訳ありません。できるだけご協力いただけるよう、こちらも配慮します」

「……いえ、当然の対応ですから」

口元を引き締めて答えながら、紬は自分の心がわずかに揺れたのを感じた。
そしてその瞬間、自分自身に喝を入れるように、背筋を伸ばす。

(だめ。何を期待してるの……)

彼には、あの人がいる。
綺麗で華やかで、余裕があって、きっと彼と並んでいてもお似合いな人。
それに比べて自分なんて、地味で、冴えない、ただの保険会社の社員にすぎない。

――見向きもされないに決まってる。

「それでは、こちらで案をまとめ次第、メールにて送付いたします。今日はありがとうございました」

なるべく表情を変えず、きっちりと頭を下げる。
もうこれ以上、揺らがないように。彼に何も気づかれないように。

毅然とした態度をまとったまま、紬は応接室を出た。
足音だけが、淡々と廊下に響いていく。
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