孤高の弁護士は、無垢な彼女を手放さない
ドアが閉まった音が、いつまでも耳に残っていた。
ホテルの一室に、ぽつりと取り残された隼人は、しばらく微動だにできなかった。

胸の奥が、妙に静かで、冷えていた。

莉子の言葉は、痛いほど図星だった。
親からの愛を、まともに受けた記憶などない。
求めれば煙たがられ、遠ざけられるのが常だった。

それでもずっと「平気なふり」をしてきた。
誰よりも冷静で、誰よりもタフな人間を装って。
誰にも心を明け渡さず、ただ「必要とされる役割」に応えることで、自分の存在価値を保っていた。

莉子が言ったように――
本物の愛など、持ち方すらわからなかった。

ベッドに腰を下ろし、天井を見上げる。

彼女の言葉の中で、なにより胸を抉ったのは――
「あなたも、私も、結局――愛を知らない」
という一言だった。

……本当にそうか?

心のどこかが、小さく反論する。

愛なんて知らないと思っていた。
でも――あの子に、何かを感じていた。
小さく笑う横顔。真面目で、どこか不器用なところ。
仕事の話をするとき、まっすぐな目で話してくれるあの姿。

成瀬紬。

彼女を見ていると、自分の中にあるはずのない感情が揺れていた。
守りたくなるような、近づきたくなるような――
けれど、それが何かに名前をつけるのが怖かった。

いや、違う。
「名前をつけてしまえば、向き合わなきゃならない」ことが、怖かった。

彼女の瞳に、自分が映っていたあの瞬間。
手を伸ばせば届くのに、自分はそれを握らなかった。

何が怖かったのか。
彼女を傷つける自分になるのが、怖かったのか。
それとも、彼女に拒絶される未来が、怖かったのか。

そして今――
莉子を失っても、何も感じなかったはずの自分が。
どうしようもなく、紬の顔ばかりが浮かんでいた。

彼女のあの、泣きそうな笑顔。
それが、脳裏から離れなかった。

心のどこかが、静かに疼いていた。
これは、ただの罪悪感じゃない。
たぶん――最初から、ずっと。
心が向いていたのは、成瀬紬だった。

気づくには、遅すぎたのか。
いや、まだ――

隼人は、唇を固く結び、俯いた。

このまま終わっていいのか。
自分の過去も弱さも、全部晒してでも――彼女に向き合うべきなんじゃないか。

ひとりきりの部屋で、夜の静けさが問いかけていた。
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