孤高の弁護士は、無垢な彼女を手放さない
エレベーターのドアが閉まると同時に、空気が急に薄くなる。
密閉された空間の中で、岩崎はまた当然のように距離を詰めてきた。

「やっぱり、お前はこういうのが似合うよな」
そう囁きながら、ぬるりとした手が紬の腰に回される。

紬は反射的に体を引いた。
頭に血が上るのを感じながら、低く、しかし確実に言い放つ。

「ふざけないでください。……犯罪です」

岩崎の表情が一瞬こわばる。そして、舌打ちとともに手が離された。

「冗談も通じない女になったんだな、お前も」

その言葉に何の感情も湧かなかった。いや、正確には怒りすらも呑み込まれるほど、紬は無感動の中にいた。
自分が怯えないこと、それ自体がいまの彼女にとっての武装だった。

ほどなくしてエレベーターの扉が開く。────

「いらっしゃいませ、成瀬様、岩崎様。ただいま、担当の弁護士をお呼びしてまいりますので、どうぞこちらの応接室でお待ちください」

事務所スタッフの丁寧な案内に軽く頭を下げ、紬は岩崎とともに応接室に通される。
室内は、柔らかな照明と落ち着いた色合いのインテリアで整えられ、ガラス越しに隅田川が見えた。

ほどなくして、扉がノックされる音。

「失礼します」

現れたのは、紬の記憶の中でも鮮烈な存在だった――

一条隼人。

スーツに身を包んだ姿は、以前よりどこか落ち着きと重みを感じさせた。
一条は軽く一礼しながら、応接室に入ると、資料を手に歩み寄る。

「お世話になっております」

岩崎が立ち上がり、先に挨拶をする。
紬もそれに倣って頭を下げた。

その瞬間、一条の視線が一瞬だけ、紬に留まる。
ごくわずかに目を見開いたようにも見えたが、すぐに表情を整え、手元の資料に視線を落とした。

まるで、何事もなかったかのように。

彼は応接室のテーブルを挟んで向かい側の椅子に腰を下ろし、淡々と案件の説明を始める。

紬は自分の鼓動が速くなっているのを感じながらも、岩崎の存在を意識の外へと押しやった。
いま、ここにいるのは――業務としての、自分。そして、一条隼人。

(この再会は、偶然なのか、それとも……)

しかしその問いに答えるのは、まだ先だった。
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