孤高の弁護士は、無垢な彼女を手放さない
紬がようやく落ち着きを取り戻すと、一条は柔らかく言った。

「本日はまだお仕事がおありかと思いますので、この件については日を改めて考えましょう。
……ご都合の良い日を、後ほどご連絡ください」

そう言って、胸ポケットに挿していたペンを取り出し、自分の名刺の裏にさらさらと数字を書き込む。
書き終えると、迷いのない手つきで、それを紬へと差し出した。

「こちら、私の直通番号です」

紬は両手でそっとそれを受け取る。
その名刺は、紙一枚なのに、まるで支えのように感じられた。

すると一条は、再び目線を合わせるように紬の正面にしゃがみ直す。
その仕草に、また胸の奥がじんと熱くなる。

「まだ目が少し腫れています。……もう少し落ち着いたら、出ましょうか」

まるで心の内まで見透かすような、そんな言葉だった。
それだけでまた感情が込み上げてきてしまいそうになる紬を見て、一条はふっと微笑んだ。

「……泣かないでください。いつまでも帰れませんよ」

冗談めかしたその一言に、紬ははっとして笑みをこぼす。
さっきまで流れていた涙の名残が、その笑顔の端にわずかに光っていた。

だけどその笑顔の裏で、紬はほんの少し、くだらないことを考えてしまった。

(……帰れなくても、いいかもしれない)

こんな風に、誰かに優しく守られて、もう何も怖がらずに、ただここにいてもいいのだと、
そう思わせてくれる場所に――紬は今、初めて触れた気がした。
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