孤高の弁護士は、無垢な彼女を手放さない
紬の背が、ゆっくりと自動ドアの向こうに消えていく。
その光の中で、一条はふと立ち止まり、胸の奥を掴まれるような感覚に襲われていた。

(守られなかった子ども時代。あの頃の俺に、今日の俺を見せてやれたなら…)

思い出すのは、いつも冷え切った家。
声を荒げる父と、無言で耐える母。
気づけば両親は離婚し、母は次第に夜の街に姿を消すようになった。

頼るべき大人がいないというのは、どうしようもなく孤独だった。

誰にも甘えられず、助けも叫べず、それでも――
「自分だけは見捨てない」と、ただその一心で勉強にしがみついた。

図書館にこもり、夜を徹して問題集を解いた。
奨学金を探し、あらゆる給付制度に応募した。
そして、月島総合法律事務所が実施するロースクール生向けの給付型奨学金に採用されたとき、彼の人生はやっと小さく動いた。

6年間は、必死の疾走だった。

奨学金を綱渡りのように受け続け、アルバイトを詰め込み、息をするように法律を学び、司法試験を突破した。
だが、その先に待っていたのは、現実だった。

淡々と案件を処理し、無理難題を押しつけるクライアントに翻弄される日々。
同僚とは競争関係、誰かと心を通わせる余裕などない。
自分の心がどんどん摩耗していくのを感じていた。

そして、心の空洞を埋めるように始まった、一夜限りの関係。
誰かと本気で向き合うことが怖かった。
どうせ裏切られる、どうせ見放される。
そうやって冷めた目で、相手の感情さえも切り捨ててきた。

「信じなければ、信じてもらえない」

かつて誰かにそう言われた。
その時は鼻で笑った。
だが今、その言葉が胸に刺さる。

――今日、自分の前で泣いた女性。
誰にも頼れず、でも誰かに助けてほしくて、それでも耐えてきた彼女の姿は、昔の自分に重なった。

あのとき自分が欲しかった「救い」を、今度は自分が差し出せるだろうか。

(……変わらなきゃいけない。もう、過去の延長線にいるだけじゃいけない)

振り向いてほしい人に、胸を張って自分を見せられるように。
――そのために、自分の生き方を正すときが来たのかもしれない。

一条は静かにネクタイを直し、スーツの裾を軽く整えると、再び静かな足取りで廊下を歩き出した。

真っ直ぐに。
誰かを、本気で守る覚悟を胸に。
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