孤高の弁護士は、無垢な彼女を手放さない
夜、着替えを終えた紬は、リビングのソファに静かに腰を下ろした。
バッグの中から名刺を取り出すと、そこに手書きされた電話番号に指先を添える。

スマホを手に取り、番号を登録する。
表示された名前の欄に、ゆっくりと――「一条隼人」と打ち込んだ。
登録ボタンを押すと、表示された名前を見つめながら、小さくつぶやいた。

「……一条隼人」

その響きに、どこか胸が痛くなった。

“隼人くん”――そう呼んでいた人。
その記憶が、ふいに心の奥底から引き上げられてくる。

「……私、好きなんだろうな。一条さんのこと」

自分に言い聞かせるように、でもどこか認めたくなくて、唇が震える。
思い返すのは、今日の執務室での優しさ。 
決して押しつけがましくなく、それでいて確かに支えてくれた手の温もり。

だけど、その人には――彼女がいる。

「好きになった人が彼女持ちって、こんなに切ないのね……」

ぽつりと漏らしたその言葉は、まるで夜の静けさに吸い込まれていくようだった。

叶わない恋なら、しないほうがよかった。
冷たい目で見られたままだったら、好きになんてならなかったのに。

どうして優しくしたんだろう。
どうして、あんな目で見たんだろう。

深く長いため息をひとつ吐いて、そっと名刺を名刺入れの中へ戻す。
その動きすらも、どこか名残惜しく、そして痛ましい。

けれど、今はまだ――心が一条隼人に向かうのを止められそうになかった。
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