孤高の弁護士は、無垢な彼女を手放さない
午前中の仕事がひと段落したタイミングで、茜がそっと紬に目配せを送る。あかりもすぐに気づいて頷いた。

三人は、それぞれ席を立ち、自然な流れを装いながら部署の一角、片山部長のデスクへと向かった。

「片山さん…お耳に入れておきたいことがあります」

紬の声は静かだったが、その眼差しには揺るぎない意思があった。

片山が「どうした?」と顔を上げると、紬はこれまでの経緯を淡々と語り始めた。

――新人時代、岩崎から受けていた執拗なセクハラ。
――今回の同行業務で、車中での不適切な発言、エレベーター内での身体接触。
――そして、法律事務所での会議中、机の下で脚を這うように触れられたこと。

語る間、後ろで聞いていた茜とあかりの表情はみるみる険しくなり、唇を強く結んでいた。怒りと悔しさがにじんでいた。

話し終えた紬に、片山はしばらく何も言えず、苦々しい沈黙のあと、低く力のこもった声で言った。

「……そんなことが。気づけなくて申し訳なかった。本当に、辛い思いをさせたね」

そして、言葉を継ぐ。

「この部署には女性の管理職がいない。きっと、相談しにくかったよね……」

その真摯な言葉に、紬は首を横に振る。

「片山さんのせいじゃありません。ただ、これから岩崎さんと二人きりで動くような業務の割り振りは、避けていただけると助かります」

その声もまた、決意を帯びた穏やかなものだった。

片山は深く頷き、「もちろん。すぐ対応するよ」と約束すると、「この件は、私の責任で上にも共有する」と言い添えた。

重くも、大切な一歩が、静かに踏み出された瞬間だった。
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