孤高の弁護士は、無垢な彼女を手放さない
午後の光がやわらかく差し込む病院の病室。
点滴の針が刺さった腕を布団の上に置きながら、母親は窓の外を見つめていた。
白いカーテンが微かに揺れ、爽やかな初夏の風を運んでくる。

その扉をノックして、紬が入ってきた。

「こんにちは、アーバンライフ保険の成瀬です。少しお時間よろしいですか?」

母親はゆっくりと振り返り、目にうっすらと微笑みを浮かべて頷いた。

「はい。来てくださってありがとうございます。」

紬は手にしていたファイルを小さく抱えながら、ベッドの傍の椅子に腰掛けた。

「手続きについてですが、いくつか動きがありましたので、ご報告に参りました。加害者側の保険会社との接触はすでに済み、正式に『示談は行わない』という方向で会社としても方針を固めました。」

母親は真剣な眼差しで紬の言葉を聞く。

「また、刑事事件としても重く受け止められていて、加害者には厳罰が下る見込みです。一条先生の方でも、被害者側代理人として強く主張してくださっています。事故当時の状況、そしてお子さんの人となりやご家庭の状況なども、丁寧に拾い上げて、書類として提出予定です」

「……そうですか」と母親はゆっくりと頷き、視線を伏せた。

「手続きは順調に進んでおりますので、どうかご安心ください。ただ、精神的にも大変な中かと思いますので、もしご不安なことがあれば、私でも一条先生でもいつでもお話を伺います」

紬は言いながら、手帳に挟んでいた一枚の資料を取り出す。

「こちらが今の進捗をまとめたものです。ご無理のない範囲で目を通していただければ」

母親はそれを受け取り、少し震える手でゆっくりと読む。
その間、紬は静かに待ち、時折、やさしく微笑んだ。

「……ありがとうございます。こんなふうに、ちゃんと向き合ってくださる方がいて、本当に救われます」

その言葉に、紬はそっと頷いた。
「いえ、私たちの役目なので。少しでも、安心していただけるように、これからも誠実に進めてまいります」

病室にはしばしの静けさが流れた。
だがそれは、悲しみではなく、ほんの少しの安堵が宿った静寂だった。

紬は帰り際、ベッド脇に花瓶にさした一輪の花に視線を向け、「綺麗ですね」とぽつりと呟くと、母親も微かに笑みを浮かべた。

「息子が好きだった花なんです。……また咲いたら、あの子に見せてあげたかったな」

その言葉に、紬の胸がきゅっと締めつけられるような痛みを覚えながら、深く一礼して病室を後にした。
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