不器用なプロポーズ

彼との契約 ~二日目 意識~

……まて。

まてまてまてまて待ってってばっ!!

合わさったままの唇に、脳内の冷静な自分が待ったをかける。

上から覆い被さっている人の腕やら肩やらを、両手で押し上げるけれどびくともしない。キスをしている最中だというのに見開いた私の瞳は、まさに目の前にある三嶋社長の長い睫を捉えていた。

「むーーーっ!」

声にならない声を出しながら、社長の身体をどんどん叩くけれど反応が無い。

それどころか……ってちょっと待ってその手どこ触ってんのよっ!

人の抵抗を完全に無視して、彼の手はあらぬ所を滑っていく。

ぎゃああああああっ。

焦り慌てる私は足もばたつかせながら、社長に否の意を伝えた。

このまま無理矢理とか、許せるわけないでしょおおおおおっ。

拒否の意思が伝わったのか、突然ふっと唇が離れる。かと思いきや、再び温かい感触が降りてきた。

むしろ今度は、もっと深く。

い、息継ぎしただけっ……!?

気を抜けば滑り込もうとしてくる彼の舌を、口内でなんとか防いでいるけれどこれも時間の問題だ。

ああどうしよう……これ、どうすればいいのっ!?

横たわっているベッドのシーツがやけに生々しくて、今の状況も相まってパニックを起こしかけていた。

けれど。

覆い被さっていた身体が唐突に距離を取る。
同時に離れた唇から、細い透明な糸が引かれて切れた。

「俺が、君を欲しいと言ったのはこういう意味だ……判ってくれたか?」

ニヤリ、と唇の片端を上げ意地悪そうに言うその顔は、またもや初めて目にする顔だった。

こ、コイツ……っ!!

仮にも現在進行形で雇い主ではあるのだが、そんな事はお構い無しに、頭の沸点が頂点に達した。

「ふ、ふざけないで下さいっ!!」

余裕さえ見せるその顔に、思い切り叫ぶけれど焦りのせいかまたは羞恥のせいなのか、途中から声が裏返ってしまった。

身体が熱い。この熱さを感じるのは久しぶりだ。
鼓動が早い。たぶん顔も真っ赤になっている。それがとても悔しくて、私は目の前の男を睨みつけた。

「……すまなかった。少し、度が過ぎた」

言いながら、私の方へ彼が手を伸ばす。

思わずびくりと身体が強張り、それを見た彼が微笑みながらも眉尻を下げた。
普通の人ならこれは、「申し訳なさそうな表情」というのだろう。

伸ばした手が、私の目元に触れ、指先が目尻から何かを掠め取る。

それが涙だったと気付いたのは、もう片方の瞳から一粒、雫が落ちたのを感じたからだった。

「理解していて欲しい。俺は、君が思っている様な男じゃない。ただ普通に、離れて行こうとする君を追いかける、君に惚れているだけの、ただの男だ」

少しだけ悲しそうに微笑んで、彼がそっとベッドから離れた。

そのままゆっくりとバスルームへと歩いていく。

私はその様を、ただ呆然と、眺めていた。

◆◇◆

――――本当に。

本当に『そう』だったなんて。

まさか思わなかった。

考えた事など無かった。微塵も。

あの人に、自分が好意を持たれているだなんて。

幾度も会話はした。それは仕事の話ばかりを大量に。

プライベートな事など、聞かれた事もなければ、話した事もない。
笑顔を見せてくれた事も無かった。私も見せた事など無かった。

だって仕事だもの。日々分刻みで追われる激務。笑っている暇など、無かった。

やり手と言われ、業界でも名の知れた企業のトップであるあの人の視界に、どうして自分が個人として映っていたなどと思うだろう。

パソコンやコピー機みたいに、使用するツールの一つだと認識されていると。
そう、思っていた。

だけど。

向けられた視線の熱さが。

存在を確かめるように触れる掌が。

貪るようなキスの深さが。

そうでは無かった事を、私に教えた。

なぜ彼が、一介の秘書を拉致し、監禁まがいの事をしたのか。

なぜ、辞めたはずの私と、再び契約を交わしたのか。
なぜ、傍で眠ることを求めるのか。

――――なぜ。

「嘘、でしょ……」

熱くなる頬を、両手でぎゅっと押さえながら、私は一人呟いた。

彼がシャワーを浴びる僅かな水音だけが、扉越しに室内に響いていた―――
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