キスしたら、彼の本音がうるさい。

「ここのカフェ、初めてだよね」
「うん。前に気になってたって言ってただろ」
「……覚えてたんだ」

勉強のあと、ふたりで入ったのは、大学近くのちいさなカフェ。
木のぬくもりに包まれた、静かで落ち着いた空間。
隅の二人席に案内されて、瑛翔は自然な手つきで椅子を引いてくれた。

「月菜は、ミルクティーだろ?」
「うん。でも……」
「いいよ、俺が払う」

《頼むから断らないで。好きな子の分くらい、奢らせて》

「……ありがと」

《うわ、いまの“ありがと”、なんかやばかった……声のトーン、反則……。こちらこそ尊いものを見せてもらって、ありがとうございました…》

トレイを受け取って席に戻ると、並んで座るように彼が軽く隣を叩いた。

「こっち来いよ。窓側だと寒いかも」

《ほんとは、隣にいてほしいだけなんだけどな》

並んで座ると、肩がかすかに触れそうな距離。
さっきまで図書館にいたはずなのに、全然違う世界に来たみたいだった。

カップのふちを指でなぞりながら、私はふと口にした。

「こういう時間、好きだな」
「どんな?」
「……特に何も起きないけど、ただ隣にいるだけで落ち着く時間」

《落ち着くどころか、心臓が騒いでる……呼吸もままならん……》

「……俺も」
「え?」
「そういうの、いいなって思う」

《ほんとは、“好きだ”って言いたいだけなんだけど……だめだ、言えねえ……》

「……そっか」

ほんの小さな会話。
でも、聞こえるのはその何倍も甘い“声”。

ふと視線を向けると、瑛翔がカップを持つ手をじっと見つめていた。

「手……なんか細いよね、月菜」
「そう?」
「ノート取るとき、すごい集中してるから見入ってしまう」
「そんな見られてたの?」

《集中してる顔、ほんと可愛い。あの眉の寄り方、まじで好き》

「見てた。ずっと」
「……なにそれ」

顔を逸らすと、ふわっと頬が熱を帯びていく。

《やばい、赤くなった。可愛すぎ。今ならキスできる気がする……いや、だめ。がまん。公共の場……》

店を出る頃には、空がすっかり藍色に染まっていた。
風が冷たくて、隣にいるだけで心細さが消えるようだった。
大学までの帰り道。
ふたり並んで歩く歩道は、街灯が優しく照らしてくれる。
足元を見れば、影が隣り合って伸びている。

「……ねえ、瑛翔」
「ん」
「いま、ちょっとだけ……手、触れたよね?」
「うん」

《わざとだった。ごめん。けど、触れたかった。繋ぎたかった……》

「……そっか」
そっと指先が揺れる。
けれど、それ以上の距離は縮まらない。

《いま、手繋いだら何かが変わりそうで……こわい》

キャンパスの入り口まで来たとき、彼が足を止めた。

「今日は……ありがとな」
「え?」
「付き合ってくれて。楽しかった」

《ずっと一緒にいたい。もっと話したい。……本当は、帰したくない》

「……ううん、私も」

《“私も”って言葉、もうそれだけで充分……ほんとは、“好き”って言ってしまいたいけど》

──その心の声だけで、充分すぎるほどに、胸が熱くなる。

「また……どっか行こうね」
「うん」

《“どっか”じゃなくて、“いつまでも”って言ってほしい……》

瑛翔の横顔が、どこまでも静かで、やさしかった。

だけど、心の中の彼は、
まるで息もできないくらい、私を愛しそうにしていた。

< 17 / 69 >

この作品をシェア

pagetop