キスしたら、彼の本音がうるさい。
聞こえない不安
「あんたさ、なんか最近……微妙に暗くない?」
玲奈のその言葉に、月菜は思わずココアを吹きこぼしそうになった。
ここは学食の隅。
夕方の講義を終えた学生たちでにぎわっている中、ふたりでいつものように並んで座っていた。
「え、そうかな。べつに……」
「“べつに”って言うときの顔、いつも困ってるやつじゃん」
スマホをいじりながら、玲奈は当然のように核心を突いてくる。
「なんかあったでしょ、神谷くんと」
「な、なんもないよ」
「はい嘘。即答のときはだいたいバレてると思って」
「……っ」
月菜は、言葉を詰まらせた。
何もないわけじゃない。だけど、何かがあったとも言い切れない。
あの日、手を繋いで、キスをして、確かに気持ちは近づいたはずだった。
でも──それから、何かが違う。
「前はさ、私が何か言おうとする前に、彼が気づいてくれること多かったんだよね。空気とか……タイミングとか」
「うんうん、エスパーみたいって言ってたじゃん。心読んでる説とかさ」
「……うん、それが」
ふと視線を落とす。
「今は……何考えてるのか、わからないって思う瞬間があって。
何気ない返事も、全部、“ほんとにそう思ってる?”って不安になっちゃう」
「……ふーん」
玲奈はしばらく何も言わず、スプーンでココアをぐるぐるかき回していた。
そして、ゆっくりと口を開く。
「それってさ、前より近づいたからじゃない?」
「……え?」
「距離が近づくとさ、些細な“ずれ”が前より気になるんだよ。
今までなら気にならなかったことが、近い分だけ見えてきちゃう。
言葉にしなくても分かると思ってたのに、伝わってなかったんだ……とかさ」
その言葉に、胸の奥がちくりと痛んだ。
──本当に……私、そう思ってた。
聞こえていた“心の声”があるから、言葉にしなくても通じてるって、勝手に思い込んでた。
「……ねえ、玲奈」
「ん?」
「“言わなくても分かる”って、やっぱり、傲慢なのかな」
玲奈は少しだけ目を丸くしたあと、ゆっくりうなずいた。
「うん。あたしはね、言わない人より、言おうとしてくれる人のほうが信じられるって思ってる。
それが不器用でも、言葉にしてくれるだけで、安心するっていうか」
──瑛翔は……
言わない。
けど、本当はいっぱい考えてるのも、知ってる。
でも、今はそれが“聞こえない”。
だから余計に、どこを信じていいか分からなくなる。
「……あたしさ、前までは、彼の気持ちが不思議と分かるような気がしてたんだ」
「ふうん?」
「でも今は、たったひとつの返事にさえ、戸惑ってる。
“好き”って言葉を聞いたわけじゃないのに、あのときは聞こえてた気がするのに──今は、どこにもない気がして」
玲奈は、少しだけ優しい目を向けてきた。
「だったらさ、今度は月菜のほうから言えばいいじゃん」
「え……?」
「彼の声が聞こえないって思うなら、自分の声、ちゃんと届けてみなよ。
彼が何も言えないタイプなの、知ってるんでしょ?」
月菜は、目を伏せた。
自分が甘えていたことに、気づいてしまった。
──聞こえることに、安心しすぎてた。
何も言わなくても届いてた“気がしてた”だけで、
本当は、いつだってすれ違う危うさはあったのかもしれない。
──だから今、怖いのかもしれない。
「……ありがとう」
「なにそれ、急に素直じゃん」
「……玲奈って、やっぱすごいなって思って」
「言ったね? 録音しておけばよかった!」
ふざけながら笑う玲奈を見て、月菜も少しだけ笑った。
けれどその笑顔の奥では、まだ不安が残っていた。
声が聞こえなくなった理由は分からない。
でも──きっと、自分にも原因がある。
繋いだ手が、心の奥まで届くとは限らない。
だから、今度は自分の声で、ちゃんと伝えなきゃいけない。
──壊れる前に。