キスしたら、彼の本音がうるさい。
週明け、約束していたわけでもないのに、
講義のあと、瑛翔は図書館の前で待っていてくれた。
「……びっくりした」
「たまたま。通りかかっただけ」
そう言いながら、彼は小さく笑う。
その顔が、ほんの少しだけ遠く見えた。
──やっぱり、聞こえない
ふたりで並んで歩く帰り道。
彼の言葉に耳を傾けながらも、心はどこかで探っていた。
──この言葉の奥には、どんな“本音”があるの?
以前なら、自然に感じ取れていたはずの気配。
今は、どれだけ彼を見つめても、何も聞こえてこない。
それが不安で、悲しくて、
でも、それを言葉にしてしまったら、なにかが壊れてしまいそうで。
「……この前の、手繋いだとき」
自分の口から、思いがけず言葉がこぼれた。
「うん?」
「……すごく、うれしかった。あったかくて……安心して」
言ったあと、瑛翔の顔を見るのが少し怖くなった。
でも彼は、いつものように、静かに笑って答えた。
「……月菜の手、冷たかったからな」
それだけ。
やさしいのに。
やさしいのに、どうしてこんなに不安になるんだろう。
──ほんとは、もっと違うこと言ってほしかったのに
「……そっか。ありがとね」
自分でも、声が少しだけ沈んだのがわかった。
それでも彼は、変わらない表情で頷いた。
それだけで、会話は終わってしまった。
いつもなら、心の声で続きが届いてきたのに。
今は、それもなくて。
沈黙が、やけに冷たく感じた。
──好きって、ちゃんと伝えたほうがいいのかな。
そう思いながら、言葉が喉の奥で止まった。
怖かった。
“伝えること”で、距離ができてしまうかもしれないのが。
でも──
言わなきゃ、ほんとうの気持ちは届かない。
ほんの少しだけ繋いでいた距離に、ひびが入りはじめている。
お互いに気づかないふりをしている、その静かなずれが、確かにそこにある。
そして、それが“すれ違い”という名を持つものなのだと──
このときの私は、まだ知らなかった。