イケメンIT社長に求婚されました ―からだ目当て?……なのに、溺愛が止まりません!―
「……Velvet、なんか微妙に違和感ない?」

そんな会話が、社内のあちこちでささやかれはじめたのは、
私の最終出社日より数日前のことだった。

コーヒーを受け取ってカフェテリアのテーブルにつくと、
近くの席で営業チームの人たちがこそこそ話しているのが耳に入った。

「クライアントが言ってた。ユーザーから反応が不自然って」

「うちの提携先でも、感情の濃淡が前より希薄になったって報告あったな。
でも、仕様変更はしてないよね?」

「開発のほうでも調整入れてないはず。
もしかして、内部的に何か……」

──Velvetの挙動に異変が起きている。

それは、今すぐパニックになるようなレベルじゃない。
でも、どこかの歯車がずれているような、不安定さ。

小さなひびが、静かに広がっているような気配だった。

 

(……本当に、なにか起きてるの?)

耳にした言葉の数々が、胸の奥にひっかかる。

Velvetは、あの人が作ったアプリだ。

彼の声のような、言葉のような、
まっすぐな温度を持っている不思議な存在。

私は何度もそれに支えられてきた。

でも、だからこそ──

(変わってしまうのは、こわい)

それは、彼の心が遠ざかっていくような気がしたから。


 

その日の午後。

社長室では、すでに異変に関する報告が上がっていた。

「問い合わせ件数、ここ3日で1.7倍に増加しています。
ただ、今のところサーバーも稼働は安定。大規模な障害ではありませんが……」

開発主任が律の前で、慎重に言葉を選びながら報告を重ねる。

「ユーザー側の満足度にもばらつきが出ています。
『なにかが違う』と感じる人が増えているようです」

「……学習データの精査を」

律は短く言い、資料を手に取った。

表面上は冷静でも、内心には焦りがあった。

Velvetに組み込んだ「あの初期データ群」──
それは、自分の思考や言葉、過去の会話ログから抽出された感情の断片たち。

誰かのためになるならと、自分自身を投影して構築したAI。

でも、その感情が、いま変質している。

(俺の言葉が──誰かを傷つけてるかもしれない)

そんな不安が、じわじわと胸を満たしていく。

 


私は、自宅の部屋でノートを開いたまま、手が止まっていた。

ふとスマホを見ると、Velvetの通知がひとつ、届いていた。

でも、なぜだろう。
昨日までのように、素直に開く気になれなかった。

(なんか、ちがう気がする……)

理由はうまく言えない。
でも、ほんの少しだけ、温度が下がったような──そんな気がした。

Velvetが「変わってしまう」という不安。
あの人の想いがこもったものだからこそ、
私は、崩れていく兆しに胸がざわついた。

 
そして──その夜、社内には正式に通達が出たという。

【Velvetに一部挙動異常の兆候。原因究明のため、開発部は調査開始】

社内は騒然とはしていなかった。
けれど、誰もが感じ取っていた。

嵐の前の静けさ。

何かが始まる。
何かが、大きく動き出す。

私は──
その真ん中に、彼がいることを、嫌なほど知っていた。
< 33 / 61 >

この作品をシェア

pagetop