心地いい風
 お風呂上がりの髪から、ぽたぽたと雫が落ちている。タオルでざっと拭いたけど、乾かすのはなんだか面倒で、私はそのままリビングに戻った。Tシャツにルームパンツ、湯上がりの肌にひんやりした空気が心地いい。

 キッチンのほうから、お湯を沸かす音がする。
 それに混ざって、低く落ち着いた声が私の名前を呼んだ。

「……葉月、また髪乾かしてない」

 私が振り返ると、千歳くんが少しだけ眉をひそめて、電気ポットのスイッチを切るところだった。

「え、今からやろうと思ってたよ?」

「さっきも言ってたよ、それ」

 その言い方が、呆れてるようで優しくて、思わず笑ってしまう。
 千歳くんは、私より四つ年上。穏やかで、でも時々お兄ちゃんみたいに甘やかしてくる。付き合って半年、同棲してからはちょうど一か月。初めての彼氏が彼でよかったと、毎日思う。

「ほら、ソファに座って」

「え?」

「ドライヤー、俺がやる」

 そう言って、千歳くんはさっさと洗面所へ行ってしまった。

 その後ろ姿を見ながら、私はくすぐったいような、嬉しいような気持ちを抱えてソファに腰を下ろす。こんなふうに人に大切にされることに、まだ少し慣れていない自分がいる。

 千歳くんが戻ってきて、私の肩にタオルをかけてくれる。

「はい、行きまーす」

 軽い口調と一緒に、ドライヤーの温風が髪を撫でた。

 その瞬間、ふわっと風が窓のすき間から入り、カーテンを揺らした。
 この部屋は三階の角部屋。静かで、風通しがよくて、ちょっと古いけど、二人にとっては大切な“最初の城”だ。

「なんか、美容室みたい」

「いや、こっちのがいいでしょ」

「え、なにその自信」

「愛情入りですから」

 ふっと笑いがこぼれる。
 彼の指先が髪をやさしく持ち上げるたび、頭がほんのり温まって、まぶたがとろんと重くなる。

「……寝るなよ」

「寝てない」

「うそ。ちょっと目つぶってた」

「気持ちいいから、しょうがないじゃん……」

 千歳くんが笑う。
 この時間が、今日一日の終わりをやさしく包んでくれる。
 ああ、これから毎日、こんなふうに髪を乾かしてもらえたらいいな――そんなことを思いながら、私は彼の手のぬくもりに心を預けていた。
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