酔って寝てたら保護されましたが、これが恋の始まりだなんて聞いてません〜警察官の甘やかな独占欲に包まれて〜
「支えたら歩けそうですか?」
静かな声が、奈緒の耳に落ちる。
顔を上げると、瀬戸が膝を折って目線を合わせ、真剣な眼差しで見つめていた。
「難しいなら、車椅子お持ちしますよ」
奈緒は、少しだけ考える素振りを見せたのち、ゆっくりと首を横に振った。
「……いや、大丈夫。頑張れば……なんとか……」
自分でも無理をしているのがわかる。
膝が震え、足先の感覚がいまひとつ心許ない。
それでも、少しでも気持ちを立て直したかった。
よろよろと立ち上がろうとしたその瞬間、すっと差し出された手があった。
瀬戸の右手。大きくて、温かそうで、ためらいのないその手。
奈緒は驚いたように彼を見つめる。
「いいんですか」と口には出さずに視線で問うと、瀬戸は微笑んだ。
「危ないですから。捕まってください」
その笑顔が、優しくて、まっすぐで──ずるかった。
──そんな顔で笑わないでよ。もう、会うつもりなんてなかったのに。
名刺も、想いも、全部置いて帰ったはずだったのに。
奈緒はその手に、素直に自分の手を重ねた。
ひんやりとした自分の指先を包む温もりが、たしかにそこにあって、ほんの少しだけ心が解けていく。
瀬戸は力加減を調整しながら、奈緒の体をそっと支えた。
その腕の中にいると、重力すら柔らかくなったような錯覚すら覚える。
「ゆっくり交番に行きましょうか。ここよりずっとあったかいですよ」
そう言って、奈緒の歩調に合わせながら、一歩ずつ確かめるように歩き出す。
「無理しなくて大丈夫ですよ。焦らなくていい。……ゆっくりで」
その言葉に、奈緒の心が一瞬だけ揺れた。焦っているのを見透かされたような気がした。
(ゆっくりなんて、してたらダメなんだよ。本当は……)
けれど、瀬戸の隣を歩いていると、時間の流れがほんの少しだけ緩やかに感じられる。
呼吸のリズムが整って、先ほどまでざわついていた胸の中が、静かに落ち着いていくのがわかった。
杉崎が少し先を歩きながら、時おり振り返っては様子を伺ってくれていた。
風は冷たかったけれど、瀬戸の肩に支えられて歩くその数分間は、どこかぬくもりに包まれていた。
──きっと、最初で最後。
この人の温もりを、言葉を、ちゃんと覚えておこう。
この人に出会ってよかったって、悔いなく思えるように。
奈緒は静かに足を運ぶ。
瀬戸と杉崎に挟まれながら、薄曇りの空の下、三人の影が長く路面にのびていく。
交番のあかりが、もうすぐそこに見えていた。