酔って寝てたら保護されましたが、これが恋の始まりだなんて聞いてません〜警察官の甘やかな独占欲に包まれて〜
3月31日。
東京の桜はちょうど満開。

通勤路の景色が美しくて、けれど奈緒の胸の奥には静かな寂しさが広がっていた。

北都新聞社、最後の出社日。

数日前、花夏に転籍の話を打ち明けたとき、彼女はほんの数秒固まってから、目にうっすらと涙を浮かべて「寂しい!」と絞り出すように言った。

「ねえ、私に内緒にするの、ほんとやめて」
「だって、泣くじゃん」
「泣くよ!……でも、応援する」

花夏はいつものように強気な言葉で涙をごまかしながらも、手を握ってくれた。

奈緒の心には、その温かさがずっと残っていた。

朝の編集会議。

いつも通り狩野デスクが先に座り、記者たちが次々と席につく。

「はい、じゃあ始めるよ」

一通りの業務報告が終わったあと、狩野が少し声を張った。

「それから、今日は報告がひとつある。水原が今日付けで東京日報に転籍することになった」

一瞬、空気が止まる。
「……えっ」という小さな声が、あちこちから漏れた。

「マジかよ」
「水原さん、ほんとに?」
「いつ決まったの?」

驚きが波紋のように広がる。

「優秀だし、そりゃ引き抜かれるよなぁ」とつぶやく記者もいれば、
「寂しくなるな」としみじみ言う女性記者もいた。

「で、長期密着取材は花園に引き継いでもらう」

そう言われた瞬間、花園くんがぎこちなく立ち上がって「はい」と答えた。

まだ若くて、どこか初々しい彼に、周囲からは「おお〜頑張れよ」「重責だな」と軽口と激励が飛んだ。

奈緒はそんな光景を、胸いっぱいの思いで見つめていた。

自分が築いてきた日々が、誰かにちゃんと引き継がれていく。

そう思うと、不思議と晴れやかな気持ちになった。

狩野が最後に、少し声を和らげた。
「水原、おつかれさん。次の場所でも頑張れ」

奈緒は立ち上がり、深く頭を下げた。
「本当にお世話になりました」

拍手が自然と起こった。
それが、奈緒の北都新聞社での最後の朝だった。
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