酔って寝てたら保護されましたが、これが恋の始まりだなんて聞いてません〜警察官の甘やかな独占欲に包まれて〜
瀬戸は無表情のまま、淡々と口を開いた。

「瀬戸拓真です。よろしくお願いします」

声は低く、抑揚がない。
だが、その響きが奈緒の胸の奥をなぜかチクリと刺した。

瀬戸は手にしていたペットボトルの水を一口、二口、ごくごくと喉を鳴らして飲むと、カチリと音を立ててキャップを閉め、机の上に無造作に置いた。

ラベルがこちらを向いているのが、なぜか気になった。

(……水……)

あの夜と同じ。
交番で、自分がしつこく「喉渇いた」と騒ぎ、瀬戸が買ってきてくれた、あの水。

なんでもない、ただのペットボトルの水に、過剰な羞恥心をかき立てられる。
奈緒は一瞬、まともに視線を向けることができなかった。

瀬戸はそのまま、奈緒の正面の椅子に腰を下ろした。
動きに無駄がなく、姿勢もきれいだった。
それがまた腹立たしいくらいに冷静に見える。

奈緒は、ごくりと喉を鳴らすと、震えそうになる声をなんとか整えた。

「水原です……今日はよろしくお願いします」

立ち上がる余裕などなく、座ったまま深く頭を下げる。
自分でもわかるほど、声が小さかった。

すると――

「知ってます」

瀬戸の低い声が、少しだけ笑みを帯びて返ってきた。
目元がかすかに緩んでいた。

そのたった一言に、奈緒の心臓が跳ねた。

(やめて、その言い方……)

知ってます。
それは、あの夜のことを“忘れていません”という証明だった。

どくん、どくん、と心臓が音を立てる。
肌の下で血が流れる音が聞こえるようだった。

奈緒は自嘲気味に笑い、「……ですよね」とつぶやくように返した。

逃げるように、カバンからペンとノートを取り出し、机の上に広げる。

ペンを持つ手が、すこし震えていた。
それに気づかないふりをするしか、今の奈緒にできることはなかった。
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