その天才外科医は甘すぎる~契約結婚のはずが溺愛されています
 向かいのソファーに深く腰を下ろす。緊張で少し汗ばんだその手は、心の内を隠せていなかった。

 「あなたが澪さんね?島津さんから、お話があるのは奥様のほうという話だったけれど」
 「はい」

 澪は頷いてから、膝の上で自分の手を強く握りしめた。

 「……五年前、私の母が蒼林大学病院に入院していました。小野寺瑞恵という名前で心臓の手術を控えていたんですが、その手術日が延期されたと聞きました」

 澪はそこで一度息をつく。

 「延期されたことは私たち家族は知りませんでした。なので――その経緯をどうしても知りたくて…もし当時のことでご存知のことがあれば教えていただけませんか?」

 黒木は、しばらく澪の顔を見つめた。

 「小野寺さん…この前島津さんから連絡をもらったとき、懐かしい名前だと思ったのよ。病室にも伺いましたし、回診にも立ち会いました。お見舞いに来ていたあなたや妹さんのことも何度かお見かけしたわ」
 「え、本当ですか!?すみません…っ」
 「いいのよ、心外は何かとバタバタしている病棟だからご家族の方と話す機会もあまりないし、人の入れ替わりも激しかったしねぇ。私自身もしばらくして異動になってしまったし」

 そして静かに、懐かしい記憶を手繰るように頷いた。

 「でも小野寺さんのことはとてもよく覚えてます。検査結果が思わしくなくても、入院期間が長くなってもいつも前向きでねぇ…『一日一回は心から笑うようにしてるの』ってよく言っていたわ」

 あぁ、間違いなくそれは記憶の中の母だ。

 澪やひよりが見舞いに訪れたとき。母の容体を心配する自分たちにいつも言っていた――今日もひとつ心から笑えたことはある?って。

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