裏切りパイロットは秘めた熱情愛をママと息子に解き放つ【極上の悪い男シリーズ】
「ありがとう、大丈夫です。……恥ずかしいけれど、私、飛行機がちょっと苦手なの。いつもは新幹線を使うんだけど、今日はどうしても飛行機じゃないとダメで……」
 恥ずかしいなんてことはない。飛行機が苦手な人は一定数いるものだ。
 過去にトラウマがある人もいればただ高いところが苦手だという人もいる。
 福岡羽田間の飛行時間は約一時間半で、和葉にしてみればそれほど長くはないけれど、苦手なら長く感じるだろう。
 あまりひどいようならCAを呼ばなくてはと思っているところに機内アナウンスが流れる。
《皆様こんにちは。本日は株式会社NANAをご利用くださり誠にありがとうございます。機長の橘と申します》
 女性が伏せていた視線を上げた。
《皆様のスムーズなご搭乗により、当機はまもなく定刻通り出発予定でございます。地上スタッフより本日の飛行ルートの天気は良好との報告を受けております。途中揺れる箇所がございましても飛行にはまったく問題ござませんので、どうぞご安心ください。それでは快適な空の旅をお楽しみください》
 低い声での澱みないアナウンスに乗客たちはしばし聞き惚れる。
 和葉がNANAにいた頃も、遼一のアナウンスはCAたちの間で『橘さんのアナウンス、いつまでも聞いていられるわー』と評判だった。
 機長がどのタイミングでどんなアナウンスをするかは基本的には自由だが、彼はなるべく離陸前に一度挨拶をすると言っていた。
 航空機の安全性は整備士やパイロット、CA、その他の職員の絶え間ない努力によって保証されているけれど、それが乗客に伝わらなければ意味がない。それを伝え安心して空の旅を楽しんでもらうのも機長の役割だと言って。
 隣の女性が少し安堵したような表情になった。
 和葉は彼女に語りかけた。
「私、以前NANAに勤めていたんですけど、橘機長は運転技術の確かな機長として社内でも信頼されていた方なんです。なので絶対に大丈夫です」
 力強くそう言うと「あら、そうなの」と言って女性の表情が明るくなった。
 福岡までのフライトはは特に大きな揺れもなく快適そのものだった。
 樹は終始ご機嫌で、空港で買った飛行機型のビスケットを嬉しそうに食べていた。
 晴れ渡った空を見ながら、和葉はぼんやりと、昔のことを思い出していた。
『大きくなったら、りょうくんのひこうきにかずはをのせてね』
『いいよ、かずちゃんはどこへ行きたい?』
『うーんとね、がいこく!』
 外国ではなかったけれど、今自分はあの時願った未来にいる。大好きな彼が操縦する飛行機に乗せてもらっているのだ。
 もちろんあんな約束、彼は覚えていないだろう。この便に搭乗するために調整したかもしれないけれどそれはあくまで樹のため、彼を喜ばせたかったからだろう。
 それでも、いつかの約束を叶えてくれた、その事実が今の自分には大切なことのように思えた。
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