野いちご源氏物語 二〇 朝顔(あさがお)
源氏(げんじ)(きみ)叔母宮(おばみや)と話していても、朝顔(あさがお)姫君(ひめぎみ)が気になってしまわれるの。
姫君がお暮らしになっている方をちらちらとご覧になる。
そちらのお庭の植え込みが枯れてしまっているのも、特別な風情(ふぜい)があるような気がなさる。
それをおっとりと(なが)めていらっしゃる姫君のお姿を想像なさると、もう我慢(がまん)はおできにならない。
「ここまで参りましたからには、姫君にもご挨拶(あいさつ)をいたしませんと失礼でございましょう。あちらにもお見舞いを申し上げてまいります」
とおっしゃって叔母宮のお部屋から退出なさる。
喪中(もちゅう)の灰色のついたてなどが見える。
しっとりと落ち着いた雰囲気で、よい香りの風が通っていった。
源氏の君ほどのご身分の方を()(えん)に座らせるのは恐れ多いということで、縁側(えんがわ)にお席が用意された。

「ずいぶん遠いところに座らされてしまいました。長い間あなたのことをご尊敬申し上げて、それを態度でも示していたつもりですから、お部屋のなかへ入れていただけることを期待しておりましたのに」
縁側ではなく、姫君のお部屋でついたて()しにお話がしたいと不満そうでいらっしゃる。
父宮(ちちみや)が亡くなって、幸せな夢から突然たたき起こされてしまったような気がしております。まだ動揺(どうよう)しておりますので、あなた様がお見せくださったご態度というものは、また改めてゆっくり思い出したいと存じます」
と、姫君は女房(にょうぼう)を通じて源氏の君におっしゃった。

<たしかに世の中は夢のように(はかな)いものだ>
と源氏の君は思うけれど、今は目の前の姫君を口説きたくてうずうずしておられる。
「神様からあなたが解放されるのをずっとお待ちしていたのですよ。賀茂(かも)神社(じんじゃ)斎院(さいいん)でいらっしゃった間は仕方ありませんでしたが、斎院を下りられた今は、何を理由に私を遠ざけようとなさるおつもりですか。あなたが斎院でいらした間、私は田舎(いなか)でつらい経験をしておりました。世の中についていろいろと考えましたから、それを少しでもお話ししたいだけなのです」
源氏の君は姫君がご存じのころより一段と上品になっていらっしゃるの。

姫君はそれでも、
「どうでございましょう。神様はまだ、私があなた様と親しくすることをお嫌がりになるのでは」
と源氏の君の恋心をかわそうとなさる。
「なぜそんなことをおっしゃるのです。もう斎院をお下りになったのですから、自由の身でいらっしゃいますよ。そもそも神様だって、神様一途(いちず)にお仕えするという斎院の(ちか)いなど信じておられませんでしょう」
源氏の君は愛嬌(あいきょう)たっぷりにおっしゃるけれど、姫君はそういうご冗談に乗れる方ではいらっしゃらない。

<なんという(ばち)()たりなことを>
と、お部屋の奥に戻ってしまおうとなさる。
恋愛を遠ざけようとなさるお考えは、お年をとってますます強くなっておられるの。
姫君がお返事なさらなくなったので、女房たちの方が困ってしまったわ。
「浮気者のようなことを申し上げて嫌われてしまいましたね。これで失礼いたしましょう」
と源氏の君はお立ちになる。
「もう若くもありませんから、このような冷たいお扱いを受けると気恥ずかしくなってしまいます。あなたへの恋心でやつれきっている私の気持ちを、どうしてお聞きいただけないのでしょう」

源氏の君がお部屋から退出なさったあと、女房たちは大騒ぎしてほめそやす。
姫君もまったくお心が動かないわけではないの。
風情(ふぜい)ある空の下、木の葉がかさかさと音を鳴らすのをお聞きになっては、昔のことをあれこれと思い出される。
<源氏の君からのお手紙には、華やかなことも切ないことも書かれていたけれど、いつも真剣な恋心が伝わってきた>
と、姫君のお胸にじんわりと広がるものはたしかにある。
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