恋焦がれ
先日購入した小説、『アルジャーノンに花束を』は、問題なく読み進めてられている。
『桜の園』は勿論買い読もうとしたが、何だかそれは単純すぎる気がして、僕は開きすらせずに家の本棚にしまったままだ。
「兄さんの読書姿も板についてきたね」
土曜の午前授業から帰ってきた恵は眠気覚ましにコーヒーを作っていた。ついでに僕のも、だそうだ。
「はいどうぞ」
「ありがとう」
僕の為コーヒーを淹れてくれた恵からコーヒーカップを受け取り、また本に目を移す。
「まだちゃんと読み始めて三日だけど?」
「今まで本とか無縁だったのに急に読み出したよね」
「……まあ」
恵はいつも嫌なところを突いてくる。それが意識的なのか無意識のうちにしてしまうのかわからないが、おそらく恵のことだ、後者なのだろう。
「それってさ」
「……うん」
「多分、っていうか絶対菊田さんの影響だよね?」
「……」
とぽん、とぽんと、恵がコーヒーの海に角砂糖を落とす音が、メトロノームのようにこちらまで聞こえてくる。いくら何でも入れすぎじゃないか……今はそんなことじゃなく。
「違うけど?」
「いや絶対そうでしょ!」
菊田さん読書少女感ありまくりだよね、やっぱり男ってのはああいう子が好きなんだよね全く。
恵はぺちゃくちゃぺちゃくちゃ、僕が否定したっていうのにそうであると決めつけて一人で話を進める。いや、恵の予想は見事当たっているのだが。
でも今の僕には恵にそのことがバレてしまった、そんなことよりももっと重要な恵に聞きたいことがあった。
「菊田さんって男に好かれやすいタイプなの?」
「え、見るからにそうでしょ。俺は意外とこういう子が好きなんだ、って思っている奴が大量にいるタイプ……あ、ごめん」
「……いや、いいんだ」
菊田さんは男に好かれやすい。衝撃の事実が発覚してしまった。
でも、やっぱりか、という感想も僕の中にはあった。
大人しく、容姿端麗で、温厚そう。背も小さめで、小動物みたいな人だ。でもどこか掴みどころがなくて、ふらふらと飛ぶ蝶のよう。
「まあ、モテそうだよね」
「うんうん。兄さんライバル多いんじゃない?」
「そうかな……て、僕は別に菊田さんのこと好きとかじゃないから」
「いやいつまで否定するの、もう絶対好きでしょ。ラブでしょ」
「……」
まさかこの恵にバレてしまうとは、最悪だ。菊田さんに何を言うか分かったもんじゃない。ただ、否定するのはあまり気分がいいものでもないしなあ。
「ああもう分かった。僕は菊田さんのことが好きだよ」
「 はいはい分かってるから。んで、どうやって攻略するの?」
「攻略?」
「菊田さんの攻略方法。水曜の兄さんみたいなのだとずっと振り向いてもらえないと思うけど」
「攻略ってそんなゲームみたいな……」
「良い、兄さん。恋愛はゲームみたいなものなんだよ」
火がついた恵を止められるものはいない。たとえ魔王や神でも。
そこから怒涛の指導が始まった。
「兄さんは甘いの! 徹底的に甘いが過ぎる! そんなんじゃどこの馬の骨かもわからないやつに菊田さん取られちゃうよ!」
「僕も馬の骨側じゃない?」
「細かいことはいいの! で、今のところの菊田さんとの関係性はどんな感じ?」
「……隣の席で、たまに話す……ちょっと仲がいいクラスメイト?」
「それじゃダメだよ……友達ですらないじゃない! 席が離れたらきっと話さなくなって代わりに新しい馬の骨が菊田さんを掻っ攫ってくよ!?」
その場合は僕は古い馬の骨になるのか。
ちなみに、馬の骨っていうのは中国から来た言葉で、何にも役に立たないものの代表として使われた言葉らしい。まあ、あながち間違ってはないが。
「菊田さんは僕以外の男子とは話してる様子もないけど」
「だから兄さんは甘いの! 兄さんだって菊田さんと関わり始めてすぐ好きになったじゃん、他の男子もそうかもだよ?」
「好きになったからと言って菊田さんもその男のことを好きになるか……」
「それは分かんないけどさ、第一兄さんのことを好きになるかも分かんないじゃん」
これは本格的に計画を練らなければ、恵は砂糖たっぷりのコーヒーを机の端に置き、何やらペンと紙を用意した。
「そういえばさ、兄さんって今までの好きな人系統ってあったりするの? やっぱり菊田さんみたいな人?」
「そうだなあ……」
僕は幼稚園から中学校、好きになった女の子について考える……って、あれ。
「僕、菊田さん以外好きになった人いないかも」
「ガチ?」
「多分。忘れてる可能性もあるけど」
「忘れてたらノーカンだから、え、じゃあ初恋? 高一にもなって?」
「……ダメかよ。てかノーカンってなんだよ」
「ダメじゃないっていいじゃん、バカスカ好きな人作っては冷めてってよりもそっちの方が」
僕は菊田さん以外に恋愛感情を向けた相手がいない。恐らくだけれど。
まあこんな僕のことだから一度好きになった相手のことを忘れることはないと思うし、きっとこれが初恋なんだろう。
「ねえ」
「何?」
「もしかして僕のコレが恋じゃない可能性もない?」
「と言うと?」
「僕は今まで好きな人はできてこなくて、ちょうど顔がタイプの女の子とお近づきになってそんなふうに錯覚しているだけなんじゃないか……僕が持っている感情が一般的な恋愛感情とはかけ離れていて、もっと別の何かだったり」
「あのねえ」
恵は呆れ、ため息をつくようにそう言った。
まだまだ中学一年生の恵が一体全体何を知っていると言うのだ、と思うけれど、恵の口ぶりからするに恋愛経験はそれなりにありそう。恥ずかしい話だが、今更初恋をした高校一年生の僕よりも高いのは明白だ。
「言っとくけど兄さんのその反応は百恋愛感情だから。コレは保証できる」
「そんなに言い切れるものなの?」
「たまにいるよね、そうやって好きって気持ち拗らせる人。兄さんもそのタイプなんだね」
先ほどからなかなかに辛辣な恵は、また呆れ大袈裟にため息をついた。
「確かにその可能性はゼロじゃないだろうけど、そうでない可能性の方が圧倒的だから。側から見れば一目でわかるよ。ああ、兄さんあの女の子のこと好きなんだなあって」
甘ったるいコーヒーにこれまた甘ったるいチョコチャンククッキーを合わせて食べる恵。
オーブンで少し温められたクッキーのチョコレートは若干溶けていて口触りが大変よさそうだ。
「兄さん、今の所菊田さんとデート行ったことあるの?」
「デートか……」
デート、と呼べそうなものは今の所二つ。入学当初ジェラートを食べに行った時と、先日カフェで詰め寄られた時。
「うーん」
「え、そんなに悩むことある?」
「いや、何をデートと呼ぶのか、いまいちわからなくて」
「そんなの簡単だよ。誰かと二人でお出かけをしたり、ご飯を食べたり、一緒に過ごすこと。ママとデートとかってストーリーあげてる友達いるし、別に恋仲だったり片想い中の相手だったりしなくても大丈夫なものだと思ってるよ」
人によっは違うかもだけどね、そう付け足し、恵はコーヒーにクッキーを染み込ませた。
「じゃあ、二回、かな。この前のカフェと、ジェラート屋さんに行った時の」
「ああ、兄さんの学校の近くに最近できたあのお店?」
「そうだと思うけど、何で知ってるの」
「有名なお店だからSNSで知ったんだよね」
「なるほど」
「いやそこは良いから!」
とにかく、と叫び、恵は手に残っていたクッキーを喉に押し込む。恵の人差し指はチョコでベタベタになっていた。
「ねえ兄さん、知ってる?」
「何が」
「三回目のデートの時、告白しないと結ばれる可能性、めっちゃ下がるらしいよ……」
「え」
「次のデートの時、告白しちゃいなよ!!!」
告白? 僕が? 菊田さんに?
次、ってことは、あと四日後の読書会で?
告白ってどうするんだ? 好きって言うだけ? それとも盛大に? 盛大に、ってどんなのが盛大なんだ?
菊田さんに嫌われたらどうしよう。ただの友達だと思っていたのに急に告白されて引かれるとかないよね? 嫌われてしまう可能性もある。
恵の怪しい情報や急な無茶振りで、とめどなく溢れる妄想や不安に、脳の処理速度は全くもって追いついていなかった。
『桜の園』は勿論買い読もうとしたが、何だかそれは単純すぎる気がして、僕は開きすらせずに家の本棚にしまったままだ。
「兄さんの読書姿も板についてきたね」
土曜の午前授業から帰ってきた恵は眠気覚ましにコーヒーを作っていた。ついでに僕のも、だそうだ。
「はいどうぞ」
「ありがとう」
僕の為コーヒーを淹れてくれた恵からコーヒーカップを受け取り、また本に目を移す。
「まだちゃんと読み始めて三日だけど?」
「今まで本とか無縁だったのに急に読み出したよね」
「……まあ」
恵はいつも嫌なところを突いてくる。それが意識的なのか無意識のうちにしてしまうのかわからないが、おそらく恵のことだ、後者なのだろう。
「それってさ」
「……うん」
「多分、っていうか絶対菊田さんの影響だよね?」
「……」
とぽん、とぽんと、恵がコーヒーの海に角砂糖を落とす音が、メトロノームのようにこちらまで聞こえてくる。いくら何でも入れすぎじゃないか……今はそんなことじゃなく。
「違うけど?」
「いや絶対そうでしょ!」
菊田さん読書少女感ありまくりだよね、やっぱり男ってのはああいう子が好きなんだよね全く。
恵はぺちゃくちゃぺちゃくちゃ、僕が否定したっていうのにそうであると決めつけて一人で話を進める。いや、恵の予想は見事当たっているのだが。
でも今の僕には恵にそのことがバレてしまった、そんなことよりももっと重要な恵に聞きたいことがあった。
「菊田さんって男に好かれやすいタイプなの?」
「え、見るからにそうでしょ。俺は意外とこういう子が好きなんだ、って思っている奴が大量にいるタイプ……あ、ごめん」
「……いや、いいんだ」
菊田さんは男に好かれやすい。衝撃の事実が発覚してしまった。
でも、やっぱりか、という感想も僕の中にはあった。
大人しく、容姿端麗で、温厚そう。背も小さめで、小動物みたいな人だ。でもどこか掴みどころがなくて、ふらふらと飛ぶ蝶のよう。
「まあ、モテそうだよね」
「うんうん。兄さんライバル多いんじゃない?」
「そうかな……て、僕は別に菊田さんのこと好きとかじゃないから」
「いやいつまで否定するの、もう絶対好きでしょ。ラブでしょ」
「……」
まさかこの恵にバレてしまうとは、最悪だ。菊田さんに何を言うか分かったもんじゃない。ただ、否定するのはあまり気分がいいものでもないしなあ。
「ああもう分かった。僕は菊田さんのことが好きだよ」
「 はいはい分かってるから。んで、どうやって攻略するの?」
「攻略?」
「菊田さんの攻略方法。水曜の兄さんみたいなのだとずっと振り向いてもらえないと思うけど」
「攻略ってそんなゲームみたいな……」
「良い、兄さん。恋愛はゲームみたいなものなんだよ」
火がついた恵を止められるものはいない。たとえ魔王や神でも。
そこから怒涛の指導が始まった。
「兄さんは甘いの! 徹底的に甘いが過ぎる! そんなんじゃどこの馬の骨かもわからないやつに菊田さん取られちゃうよ!」
「僕も馬の骨側じゃない?」
「細かいことはいいの! で、今のところの菊田さんとの関係性はどんな感じ?」
「……隣の席で、たまに話す……ちょっと仲がいいクラスメイト?」
「それじゃダメだよ……友達ですらないじゃない! 席が離れたらきっと話さなくなって代わりに新しい馬の骨が菊田さんを掻っ攫ってくよ!?」
その場合は僕は古い馬の骨になるのか。
ちなみに、馬の骨っていうのは中国から来た言葉で、何にも役に立たないものの代表として使われた言葉らしい。まあ、あながち間違ってはないが。
「菊田さんは僕以外の男子とは話してる様子もないけど」
「だから兄さんは甘いの! 兄さんだって菊田さんと関わり始めてすぐ好きになったじゃん、他の男子もそうかもだよ?」
「好きになったからと言って菊田さんもその男のことを好きになるか……」
「それは分かんないけどさ、第一兄さんのことを好きになるかも分かんないじゃん」
これは本格的に計画を練らなければ、恵は砂糖たっぷりのコーヒーを机の端に置き、何やらペンと紙を用意した。
「そういえばさ、兄さんって今までの好きな人系統ってあったりするの? やっぱり菊田さんみたいな人?」
「そうだなあ……」
僕は幼稚園から中学校、好きになった女の子について考える……って、あれ。
「僕、菊田さん以外好きになった人いないかも」
「ガチ?」
「多分。忘れてる可能性もあるけど」
「忘れてたらノーカンだから、え、じゃあ初恋? 高一にもなって?」
「……ダメかよ。てかノーカンってなんだよ」
「ダメじゃないっていいじゃん、バカスカ好きな人作っては冷めてってよりもそっちの方が」
僕は菊田さん以外に恋愛感情を向けた相手がいない。恐らくだけれど。
まあこんな僕のことだから一度好きになった相手のことを忘れることはないと思うし、きっとこれが初恋なんだろう。
「ねえ」
「何?」
「もしかして僕のコレが恋じゃない可能性もない?」
「と言うと?」
「僕は今まで好きな人はできてこなくて、ちょうど顔がタイプの女の子とお近づきになってそんなふうに錯覚しているだけなんじゃないか……僕が持っている感情が一般的な恋愛感情とはかけ離れていて、もっと別の何かだったり」
「あのねえ」
恵は呆れ、ため息をつくようにそう言った。
まだまだ中学一年生の恵が一体全体何を知っていると言うのだ、と思うけれど、恵の口ぶりからするに恋愛経験はそれなりにありそう。恥ずかしい話だが、今更初恋をした高校一年生の僕よりも高いのは明白だ。
「言っとくけど兄さんのその反応は百恋愛感情だから。コレは保証できる」
「そんなに言い切れるものなの?」
「たまにいるよね、そうやって好きって気持ち拗らせる人。兄さんもそのタイプなんだね」
先ほどからなかなかに辛辣な恵は、また呆れ大袈裟にため息をついた。
「確かにその可能性はゼロじゃないだろうけど、そうでない可能性の方が圧倒的だから。側から見れば一目でわかるよ。ああ、兄さんあの女の子のこと好きなんだなあって」
甘ったるいコーヒーにこれまた甘ったるいチョコチャンククッキーを合わせて食べる恵。
オーブンで少し温められたクッキーのチョコレートは若干溶けていて口触りが大変よさそうだ。
「兄さん、今の所菊田さんとデート行ったことあるの?」
「デートか……」
デート、と呼べそうなものは今の所二つ。入学当初ジェラートを食べに行った時と、先日カフェで詰め寄られた時。
「うーん」
「え、そんなに悩むことある?」
「いや、何をデートと呼ぶのか、いまいちわからなくて」
「そんなの簡単だよ。誰かと二人でお出かけをしたり、ご飯を食べたり、一緒に過ごすこと。ママとデートとかってストーリーあげてる友達いるし、別に恋仲だったり片想い中の相手だったりしなくても大丈夫なものだと思ってるよ」
人によっは違うかもだけどね、そう付け足し、恵はコーヒーにクッキーを染み込ませた。
「じゃあ、二回、かな。この前のカフェと、ジェラート屋さんに行った時の」
「ああ、兄さんの学校の近くに最近できたあのお店?」
「そうだと思うけど、何で知ってるの」
「有名なお店だからSNSで知ったんだよね」
「なるほど」
「いやそこは良いから!」
とにかく、と叫び、恵は手に残っていたクッキーを喉に押し込む。恵の人差し指はチョコでベタベタになっていた。
「ねえ兄さん、知ってる?」
「何が」
「三回目のデートの時、告白しないと結ばれる可能性、めっちゃ下がるらしいよ……」
「え」
「次のデートの時、告白しちゃいなよ!!!」
告白? 僕が? 菊田さんに?
次、ってことは、あと四日後の読書会で?
告白ってどうするんだ? 好きって言うだけ? それとも盛大に? 盛大に、ってどんなのが盛大なんだ?
菊田さんに嫌われたらどうしよう。ただの友達だと思っていたのに急に告白されて引かれるとかないよね? 嫌われてしまう可能性もある。
恵の怪しい情報や急な無茶振りで、とめどなく溢れる妄想や不安に、脳の処理速度は全くもって追いついていなかった。