それでも、あなたを愛してる。【終】
「『一目惚れ』で、『初恋』だなんて、正直、最初はとっても胡散臭いなって思ってたけど、普通の幸せと呼ばれるものすら知らない私にとって、あの人と歩む道が、その生活が、『薄暗いもの』なんて思えなかった。だから、手を取った。結局、今も私は『不幸』なんて知らないし、私はあの人に与えられる蜜の味しか知らない」
─あの人と歩み始めた日々の中で、彼に拾われる前の、何も知らない病室に居た少女を知っているのだと、詰め寄ってくる男がいた。
大柄で、怖くて、大声で、『お前のせいでっ』と言われて、理解できなくて、何故か動けなくて。
「ねぇ、刹那」
「なあに、悠月」
「私が捨てた私、まだこの世界にいるの」
私は、私を知らない。私は、御影悠月だから。
私はそれ以上知らなくて、生まれ変わったと思えばいいよと刹那には笑い掛けられて、だから。
悠月の言葉に、刹那は微笑んだ。
優しく、そして、穏やかな声で。
「捨てたものを、君は知らなくていい。捨てた名前を思い出せないなら、そのままでいなさい」
─刹那がそう言うならば、それが最適解なのだろう。それを、一部の人は“不幸”と呼ぶけれど。
「わかった」
私は、御影悠月は、そう思わない。
だって、私には必要なかったってことだろうし。
そんな、私が捨てた私について、唯一、刹那が教えてくれたことがある。それは、私が捨てた私にはとても大事な幼なじみがいて、とても大事で、仲が良くて、その子が今、ひとりで闘っているという話。
刹那は私の知らない私の話をしながら、世界を教える中で、四季の家について、私が忘れた彼女の話をしてくれた。
すると、不思議と捨てたはずの私の記憶と呼応したのか、その部分の記憶だけ曖昧だけど、懐かしくて、悲しくて、そして、とてもとても帰りたかった記憶のように、思い出した。
夫の腕の中で思い出せたことは、不幸中の幸いだったと思う。強く、この世界に留めるように抱き締められて、悠月は冷静になれたから。
それが、今の四ノ宮彩蝶。─彼女だ。
顔も知らないし、声も思い出せないけれど。
確かに、彼女は大切だった。それは知っている。
「刹那」
「なあに」
「刹那は、無理していない?」
届いたパフェをつつきながら、訊ねる。
彼は暗い顔で、とても疲れているように見えた。
「何でも話して。家族でしょう?」
悠月の家族は、刹那たちだけだった。
夫と出会って、新しい家族が増えたけど。
いつだって、実家だと呼べる人たちは彼らだ。