恋のレシピは、距離感ゼロで無口な先輩と

「恥ずかしいって思うことないだろ」
「え?」
「橘が頑張ってる証拠みたいなもんなんじゃねえの」
 
 言われた言葉にハッとした。

「誰よりも早く出社して、それなのに残業も続けて。自分より何かを優先してるんだから、そうなっても別におかしくはない」

 見てくれている人がいたということに驚いた。そうか、知ってくれている人もいるんだ。

「それに、俺も似たような生活してたから人のこと言えない」
「成川さんがですか?」
「仕事で疲れて帰ってきて、そこからまた料理なんて、気力が湧かないって思ってた」

 その言葉に、思わず目を見開いてしまった。
 気持ちを見透かされているかのようなその言葉に、胸が少しだけ締め付けられる。

「成川さんにも、そんな時期があったんですか?」

 思わず尋ねてしまう。
 だって、目の前に座る完璧な成川さんが、今の私と同じように疲れ果てた日々を過ごしていたなんて、どうしても想像できなかったから。
 すると成川さんは苦笑を浮かべて「むしろそんな時期ばっか」と続けた。

「社会人になりたての頃は余裕もないし、覚えることもいろいろあって、ただ必死にくらいつこうとだけはしてた」

 仕事ができる人。でも、ここに来るまでには当然、大きな壁をいくつも乗り越えてきたはず。

「毎日仕事に追われて、帰ってくるのは深夜。腹は減るし、コンビニで買ってきた弁当とか、カップラーメンとか、そんなものばかり食べてた時期があって」

 ……まさに今の私だ。

「洗い物も面倒だから、皿なんて使わないし、そもそも料理らしい料理なんてしたことなかった。冷蔵庫には飲みかけのビールと、賞味期限切れの調味料くらいしか入ってなかったな」

 共感しかないけど、やっぱりそのときの成川さんをうまく想像できない。本当に今とは別人みたいだから。

「でも、なんか出来立てのメシが食いたくなって。それなら自分で作るかって思ったのがきっかけ。んで、意外にもそれが俺には合ってた」
「料理することが好きになったんですね」
「まあ、煮込んでるときの香りとか、味が染み込んでいく感じが、妙に落ち着くっていうか」

 そこまで言って、ハッとしたように私を見た成川さんは「まあ、そんな感じで」と雑にまとめてしまった。
 でも私からすれば、成川さんの料理の話をもっと聞いてみたかった。
 職場でも怖いと恐れられる成川さん。仕事ができると評価されて、成績も常にトップ。だけどそこに至るまでに考えられないような努力をしてきた人。
 その中で料理に出会い、それがきっと、成川さんにとって心を保てるものだったように思えて。

「ただ俺の場合は料理が合ってただけだから。変に影響されたりすんなよ」
「ありがとうございます。ここまでうまく作れるかは問題ですけど、ただ自分のために料理をするって考えがなかったので発見です」
「……発見になったならよかったけど」
「でもいいなあ。成川さんの料理を食べられる人は」

 心から羨ましいと思う。とそこまで考えて、大事なことに気付くのを忘れていた。

「あっ、ま、待ってください。成川さん、お付き合いされてる方っていらっしゃいますか」
「いや、いない」
「いないですか。そうですよね、今になって彼女さんに悪いなと思ったりで……あれ、いない」
「だからそう言ってんだろ」

 笑う成川さんに、あ、と顔が熱くなる。

「すみません、あの成川さんはおモテになるので、お家にお邪魔しているなんてとんでもないことをやらかしてしまっているなと」
「やらかしてもないって」
「……そ、そうですかね?」
「自分を卑下し過ぎ」

 そう言われても、考え直してみてもあの成川さんの家にいるのはどう考えてもとんでもないことだ。
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