恋のレシピは、距離感ゼロで無口な先輩と
「あとで経理部に顔出してくる」

 佐々木から請求書を受け取ろうとすれば、ひょいっと目の前からなくなった。

「橘ちゃんに会いに?」
「……語弊がある。俺は経理部に顔を出すと言った」
「素直じゃないなあ。橘ちゃんを守るためのくせに」

 そんなつもりはない。ただこれが橘のミスだとは思えないだけだ。
 向こうは俺の顔を見るなり、またミスかもと不安そうな顔をするだろうが致し方ない。それに、これでも表情は柔らかくなるように努めているつもりだ。
 ただ、申し訳ございませんと謝る橘を思うと、経理部の環境に腹立たしくなるだけで。

「ま、俺は安心したよ」
「何が」
「無口で近寄りがたい成川も、ちゃんと人間だったんだなって」
「なんだそれ」

 請求書をさっと奪うように受け取る。

「今まで何度お見合いを持ち掛けられたよ? その度にのらりくらりと交わして、結婚なんて避けてきただろ」
「今も変わらない」
「へえ? ふーん?」
「……意味深な目を向けてくるな」
「仕事もできておまけに顔もいい。それなのに女の影すらないんだから、こぞってお前を狙おうとする女性社員は多いっていうのに、まさか橘ちゃんにいくとは」

 こういうときは無視をするのが一番だ。
 向こうも本気で口にしているわけではないことぐらい分かっているからこそ、相手にしないことでこの場は流れていく。
 橘をそういう目で見ていたわけではない。
 どちらかといえば、マスコット……いや、何かしら愛着でも持つような何かなのかもしれない。
 だから恋愛というわけではない。ないが──。
 経理部に向かう足取りが早くなる。
 ただ、誰よりも真面目で、頑張ろうとしてしまう彼女が放っておけない。
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