恋のレシピは、距離感ゼロで無口な先輩と
 今度は炒飯を一口。ぱらぱらに炒められたご飯が口の中でふわりとほどけ、玉ねぎの甘みと醤油の香ばしさが広がる。
 美味しい、美味しいとかき込んで食べていけば、「お茶も飲め」とグラスを渡されて、その気遣いに美味しさとが別の感動が押し寄せる。

「さすがにお皿は洗わせてください。あ、でもスポンジとかこだわりありますか?」

 下手に動いても逆に困らせてしまうことがある。昔、母にこっぴどく言われたことがあった。「このスポンジはフライパン用なの! 余計なことをしないで」あの甲高い声が今でもハッキリと頭の奥にこびりついている。
 ただ喜んでもらいたかっただけ。その一心で折りたたみ椅子を足元に置いて、高さを確保して洗っていた。「何してるの!」と怒号が響いたのはそのときだった。

「これ以上面倒なことを増やさないで!」

 取り上げられたスポンジは、勢いよくシンクへと投げ込まれていた。母が投げたのかとぼんやり思いながら、ごめんなさい、と泣いた気がする。
 あのとき、手には泡がついたままだったらしく、そのときの名残なのかどれだけ洗っても痒みが出てしまう。
 キッチンになるべく立たなくなったのはそれからだ。大人になっても抵抗があるのは、そのときの記憶が今もまだ強く残っているから。
 というのは言い訳で、ただ自炊を面倒だから避けているということもないわけではないけれど。

「もし使っていいスポンジがあれば洗いますので」

 もう一度だけ入念に言い直せば、成川さんは立ち上がり「これで」と緑色のスポンジを渡してくれた。

「洗い方にこだわりないから。いつも通り洗ってくれればいい」

 よかった。これは引き受けてもらえた。ただ飯だけはしたくなかったから。

「橘」
「は……いッ⁉︎」

 ふと口元に冷たいものが当たった。見れば真っ赤な果実だ。

「さっき洗っておいた」
「食べていいんですか……?」
「ん」

 柔らかく微笑まれ、不覚にも「あーん」の形で苺を食べさせてもらうことになった。
 ……成川さんって、恋人ができたらとことん甘やかす人なのかな。
 そんな姿を勝手に想像していると、じゅわっと広がる甘味に目を瞬いた。

「甘い!」
「まだ食べるなら口に入れるけど」
「あ、あとでいただきます!」

 ふっと成川さんが笑い「わかった」とリビングに戻っていく。
 いろいろと考えて込んでしまっていたのに、成川さんの苺で吹き飛んでしまった。
 甘くて、ほんのりと酸味がある苺。そういえば果物を食べるのは久しぶりかもしれない。
 成川さんの家にいると健康的な生活が過ごせるような気がする。いい旦那さんになるんだろうな。
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