恋のレシピは、距離感ゼロで無口な先輩と
「あの違うんです……いや、違うわけではないんですが。いろいろと重なりまして」

 焦って言葉を重ねたところで悪化するだけだ。余計なことを言ったってどうにもならないのに。

「話して楽になることもあるんじゃないか」

 食べ終わったのか、水を飲む成川さんは空を仰いだ。「俺が聞いてもいいならだけど」と続き、成川さんのお弁当に視線を落とす。
 綺麗な卵焼き。何もかも完璧にできてしまう人に、こんな話をしていいのか。

「……私、八方美人なんです」
「橘が?」
「人に嫌われたくないってことばかり考えて、問題があるっていうのは分かってても、自分でどうにかできるなら問題をなかったことにしてしまおうというか」

 ぼんやりとした言い方しかできない。
 誰が悪いというわけではなく、ただ私の要領が悪いだけ。誰からも嫌われたくないという悪い癖。

「それがなんの解決にならないことは分かっているんです。ただ、いざというときに行動できないんです。私は……結局のところ自分が一番可愛いだけで」

 七海さんの先輩としての気持ちも分かる。仕事がうまくできない小林さんの気持ちもよく分かる。
 だからこそ、もっといい方法があるはずなのに、私は双方の関係を悪くするばかりのことしかできない。
 理想と現実。憧れていたバリバリ働く女性には到底なれていない。
 先輩や後輩ともいい関係が作れないまま。亀裂だけが大きくなっていく。

「頑張ってるよな、橘って」

 ふと、聞こえた優しさみたいな塊に、腑抜けた声が出てしまった。

「自分が頑張ればいいって思うところがあるから無理がきてるんだと思う。そこに周りが甘えるんじゃないか」
「……そんな、私が迷惑かけてるばかりで」
「俺は橘の仕事で迷惑がかかったなんて思ったことは一度もないけど」

 真っ直ぐに言われて言葉が出なかった。

「人が良すぎるから俺は心配」
「……良くないです。性格悪いです」
「性格悪い人間は、そういう言い方しない」

 そうだろうか。そんなことはないと思うのに。

「辛くなるんだったら、いつでもメシぐらい作ってやる」
「い、いんですか……?」
「俺のでよければ」
「成川さんのがいいです!」
「……ならいいけど」

 心地のいい空間。ああ、ずっとこのままだったらいいのに。
 でも、いつかは成川さんの隣には、私じゃない人がいるんだろうな。
 成川さんのご飯が、別の人のためのご飯になる。
 あれ。
 なんでだろう。美味しいご飯が食べられることが嬉しくて、でも食べられないからちくりとするんだろうか。

「橘?」
「っ、なんでもないです」
「じゃあ会社戻るか」

 その背中を追いながら、考えることをやめた。
 深いところを考えても答えは出ないはずだ。
 今は、成川さんのご飯が食べられて元気をもらえた。それでいい。
 私も成川さんに恩返しができたらいいのに。でも恩返しできるほどのものができるだろうか。

『頑張ってるよな、橘って』

 その温かな声を聞いて、思い出して、分かってしまったことがある。
 認めてはいけないと思っていたけれど、もう誤魔化しようがない。
 成川さんを好きになってしまったことを認めなければ。
 この気持ちはどんどん加速してしまっている。だからといって成川さんにぶつけていいものではない。
 成川さんが優しくしてくれるのは、別に好意が生まれるものではない。
 節度な距離で、好きでいたい。これは許されるものなのだろうか。
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