恋のレシピは、距離感ゼロで無口な先輩と
 そして、橘特製のおにぎりを食べた。
 早起きをして彼女が作ったそれは、ただただ美味しかった。人が作ったものを食べてそう思うことが俺には珍しいことだ。
 風に吹かれると、彼女の香りが鼻腔を弄ぶようにくすぐっていく。いつの日か、橘を車で送っていたとき、車内に残っていた香りと同じだ。
 そんなことを思うほど、俺はずいぶんと橘に肩入れしてしまっているらしい。
 ……俺はこんな人間だったのか?
 橘と交流を持つようになってから、知らなかった自分と嫌でも向き合わされることが増えた。

「あ、成川。そういえば八代会社からお前に電話があったぞ」

 その名前を聞いた瞬間、晴れていた心にどす黒い何かが広がっていった。
 先日、橘からのメモに残されていた会社名に時間が止まったような感覚がした。
 まさか、こんなにもしつこく連絡をしてくるとは。

「……なんか言ってたか」
「いや、席を外してるって言ったらまたかけるって。うちとは取引してなかったよな?」

 この男がどこまで気付いているのか、今のところは判断できない。
 隠したところでいつかは知られてしまうだろう。

「これからも俺に繋がなくていい。しつこいようだったら、辞めたって言ってくれればいいから」
「辞めたって……なんかあんのか?」
「ねえよ、なにも」

 そう、全ては終わったことだ。今更何かが起こることもない。
 それなのに、そうとはしてくれない環境があることが事実だ。
 繋ぎたいと思う縁ほど遠くなり、切ってしまいたい縁ほど色濃くなっていく。
 佐々木はあっさりと「分かったよ」と口にするだけで、それ以上は聞いてこなかった。俺が何も言わないと理解しているのだろう。
 両親が早くに亡くなった。俺が中学のときだ。交通事故だと聞かされているが、俺はそのときのことをほとんど覚えていない。
 毎年必ず食べに行く店に、その年は部活の練習があった。別日にすると言った両親に、結婚記念日は別日に出来ないだろと強く俺が言ったことで、ふたりは出かけた。
 その帰りだったという。
 通夜も葬式も、すべて父親の弟──つまり叔父が担ってくれた。
 それからは叔父に世話になったけれど、どうも折り合いが悪く、衝突が多かった。
 引き取ってくれた恩はあれど、俺の人生を勝手に決めてしまうような傲慢さに辟易していた。

『お前は俺の会社を継げばいい』

 叔父に子どもはいなかった。叔母は優しく、俺の意思を尊重してくれる人だったから、この人を傷つけないためにも、俺は黙って叔父の言う通りにした。
 高校も大学も叔父に勧められるまま進学した。そこに俺の意思はなかった。
 それでも致し方がない。俺に両親はいないし、俺を育ててくれる人には恩を仇で返すわけにもいかなかった。
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