恋のレシピは、距離感ゼロで無口な先輩と
「で、買ってしまったわけだけど」

 家に帰り、買う予定はなかったパプリカパウダーだけが戦利品として残っていた。
 やっぱり美人さんにオススメしてもらったら買わないわけにはいかない。それに料理をする人が「良い」というものには謎の美味しい根拠がある。
 これで何が作れるのかはわからないけど、それこそ調べてみればいい。
 レシピを検索してみると、フライドチキンやポテトサラダなどが出てくる。

「どちらかというと色味がしっかり出せる用途として使うのかな。でもお姉さんが言ってたように甘くて香ばしい風味も気になる」

 じっと睨めっこをすること数十分。私には使いこなせる自信がないという結果だけが残った。

「料理初心者には早かったか……」

 かといって、このまま使われずにしまったままになるのは目に見えている。
 使ったとしても一、二回で終わってしまうだろう。それはあまりにも勿体ない。
 翌日、出社してからというもの私はソワソワしていた。それはもう、小林さんに不審がられるほどに。

「どうしたんですか、橘さん。体調でも悪いんですか?」
「え? へ、変かな?」
「珍しく時計を気にしてるなと思って」

 自分のデスクに座ってからというもの、早く昼にならないかなと秒針を何度か見上げることはあったけど、まさか小林さんに気付かれるぐらい見えていたとは。

「いや、なんてことはないんだけど。お昼、まだかなと」
「もしかしてもうお腹が空いたんですか? 朝食べてないとか?」
「しっかり食べてきた、そこは大丈夫」

 朝は抜かないようにしている。相変わらずトースターにバターさえ塗らないけれど。いい意味でいえば、パンそのものを味わっているわけだから、そこまで悪いことではないだろう。
 まあ、ジャムが欲しいなと思いながら食べてはいたけど。
 小林さんを誤魔化しつつ、私の頭は昼休憩のことで頭がいっぱいだった。
 昨日いいことを思いついたところまではよかったものの、それを実行に移すとなると意外と難しいということが発覚してしまった。
 そうしてようやく迎えた昼。私はいそいそと経理部があるフロアを出て、エレベーターへと向かう。
 運よく人がいなかったこともあり、ひとりで乗り込むと、営業部がある五階を目指した。
 手には、昨日買ったばかりのパプリカパウダーがある。
 これを成川さんに渡そうと思ったのだ。きっと成川さんならうまく使いこなしてもらえるだろう。いつまでも使われることなく棚の奥にしまっておくのは勿体ない。
 とはいえ、会社で成川さんに会いに行くというのは、なかなかハードルが高い。
 仕事の用ならまだしも、完全なプライベート案件だ。
 そもそも成川さんが会社にいるかも分からないけれど。
 エレベーターをおりてから営業部があるフロアを覗くと、成川さんの姿を発見した。どうやら誰かと仕事の話をしているようで、その顔は真剣だ。
 会社以外で見る顔とは程遠くて、そういえばああいう顔をする人だったと気付かされる。
 ……仕事してる成川さん、やっぱり素敵だな。

「成川に用事?」

 後ろから声をかけられて、びくりと反応してしまった。振り返ればそこには営業部の佐々木さんが、にこにこと立っていた。
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