恋のレシピは、距離感ゼロで無口な先輩と
「だから、栄養が考えられたご飯を食べることも大事なんだと実感した結果が」
「パプリカパウダーってわけか」

 苦笑するその顔に、はい、とうなずきながらも、心臓のうるささを誤魔化すように水を出す。成川さんに抱く感情はとても厄介だ。好きだとバレてしまわないように、必死で隠そうとするのに、いつかぽろっと出てしまいそうで怖い。

「自分が勤めてる会社が食品会社なので、やっぱり気にしたほうがいいかなって」
「まあ、いろんな食品を見ることにはなるからな」
「はい! なので花嫁修業とまではいかないですけど、料理できるに越したことはないかなって」
「花嫁……」
「あ、いや、そこまで深刻に考えているわけではなくてですね! 家庭を持つと今のような食事は続けられないですし。そのための準備と言いますか」

 言葉を重ねれば重ねるほど墓穴を掘っている気がする。
 こんなことを聞かされても成川さんは迷惑だろう。どうしてこうも上手くいかないのだろうか。

「橘は、結婚願望あるのか」

 ふと聞かれたそれに、え、と声が出た。そんなことを聞かれるとは思わなかった。
 結婚、となぞっては水を止める。さっきまでの発言も、結婚を意識していたわけではないけど、人から聞けばそうなるのも無理はないか。

「……ないわけではない、というのが正直なところです。周りが結婚や出産しているのを見ていると、なんだか取り残されているような感じがして」

 おめでとう、と祝福するたびに、ひとりでいることを誰からというわけでもないのに責められているような気がしていた。
 ひとりで気ままに生きていけるのは自由でいい。仕事をして、家に帰って、好きな時間に睡眠を取って。そういうことを手放さないと結婚ができないこともわかってはいる。
 それでも、結婚はいいなと漠然と考えてしまうこともある。

「なんて、勝手に取り残されているだけなんですけど。でも憧れます、幸せな家庭って。家に帰って温かいご飯があるとホッとするじゃないですか。忘れていたんですけど、成川さんのご飯を食べてそう思いました」

 忘れていたわけではない。でも、料理というものをどこか遠ざけていた自分がいるから。
 克服というわけでもないけど、まあキッチンに立つことに抵抗がなくなればそれが一番いい。

「……橘の結婚生活には、家庭の味とかあるんだろうな」
「え?」

 ぽつり、と聞こえた成川さんの声は、どこか寂しそうで、それを流すように笑った。

「俺は、思い出せないから」
「思い出せない、ですか?」

 それは──と聞くのをやめた。
 私が聞いていい話かどうかわからなかったから。話すことで成川さんを傷つけてしまうような気がした。
「話していいなら」とそう成川さんが言ってくれたのは、私の心境を読み取ってくれたからだろう。もちろんです、と私は見上げた。
< 37 / 66 >

この作品をシェア

pagetop