恋のレシピは、距離感ゼロで無口な先輩と
 けれど今の会社で成川さんと出会えたことは、私にとってはよかったことだ。

「あの」

 切り出して、その先はうまく出てこなかった。
 今言うべきことをこの一瞬で悩みに悩み抜いて、そうして出たものが──。

「家庭の味を作りませんか」

 そんなとんでもない提案だった。それは、成川さんが目を見開くのもわかる。私も驚いている。突拍子もなさすぎるだろう。

「す、みません。その、深い意味はないんです」

 いや、無理がある。深い意味がほんとうにないのなら、それはそれでよく考えて発言しろという話だし、なんでもかんでも口に出して言えばいいってものでもない。

「いいよ」

 後悔で申し訳ない気持ちになっていたところで、やわらかな音が聞こえた。

「作るか、家庭の味」
「……いいんですか?」
「誘ったのは橘だろ」

 それはそうだ。勢いとはいえ、言ったからには責任を持たなければいけない。

「はい、誘いました。橘、責任を持って家庭の味に取り組ませていただきます」
「任せた」

 ああ、だめだな。
 成川さんと一緒にいればいるほど、好きになってしまっている。
 加速して止められなくなってしまったら、私はどうしたらいいのだろう。
 この時間が長く続くわけはないと思っているからこそ、大事にしたい。成川さんと過ごせるこの時間を。

「んで、何作るんだ」
「そこなんですよ」
「考えてないのかよ」

 笑われてしまうが、いきなりは出てこない。

「成川さん、好きなご飯とかはないって言ってましたよね? ひとつもないんですか」
「思い当たるものはない」
「……そこから家庭の味を作るってハードルが高いものですね」

 できることなら、成川さんが楽しんでもらえるものにしたい。料理の内容で変わるかはわからないけど、作りたくないものよりは、好きなものや興味があることに越したことはないだろう。

「橘がなにか作れないのか」
「私ですか? うーん、極力キッチンには立たないようにしているので難しい質問ですね」
「なにか作ったことはあるだろ」

 両手で収まってしまうほどのレパートリーの中から、なんとかひねり出して思い出す。

「作ったもの……あ、豚汁」
「豚汁?」
「はい、私自分で言うのもおかしな話なんですけど、味噌汁作るのがうまいんですよ」

 これだけは自信を持って言えることだ。味噌の配分に失敗したことはない。
 中でも豚汁は、自分が作るものでも唯一美味しいと思えるものだった。

「いいな、豚汁」
「成川さんも好きですか?」
「俺もたまに作るからな」
「いいですね。そしたら豚汁を一緒に作りましょう。お互いが好きな具材を出し合って、コラボするみたいな形で」
「豚汁のコラボなんて聞いたことないぞ」
「あ、笑わないでくださいよ。個人的には、イケてるアイデアだと自負してるんですから」
「イケてるイケてる」
「また適当に……」

 それでも、職場で見せることのない笑みに、いちいち釘付けになってしまう。
 できれば私にだけ笑ってくれたらいいのに。
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