恋のレシピは、距離感ゼロで無口な先輩と
「もういい加減にしてください」

 声に出した瞬間、自分でも驚いた。でも、止まらなかった。

「私ができることはします。でも、私が関与していないところでは責任が持てません。どっちが言ったか言わないかじゃなくて、ちゃんと確認してから仕事してください。私は都合のいい責任の受け皿でもないです」

 言葉が空気を裂いたようだった。
 キーボードのタイピング音さえ止まり、プリンターの機械音すら遠ざかった気がする。
 誰かが咳払いをしたような音だけが妙に鮮明で、それさえも耳に痛いほどだった。
 デスクの仕切り越しに、他の部署の社員がひそやかに顔を上げてこちらを見ていた。
 コピー機の前にいた後輩が手を止め、ペンを持ったままの手が止まった先輩がいた。
 全員が声に出さないまま、「何があったのか」を把握しようとしている気配だけが膨れ上がっていく。
 目の前では、小林さんが驚いた顔のまま言葉を失っていて、七海さんは唇を結んだまま視線を逸らした。
 空調の風が、いつもより冷たく感じる。
 けれど、それ以上に、自分の内側が熱くなっていた。
 怒りでもなく、涙でもなく──ようやく、言うべきことを口にできたという小さな達成感。
 心臓はばくばくしていて、喉が渇いて、膝がわずかに震えている。それでも、言ったことに後悔はなかった。



 その日は一日中、変な緊張感が続いた。
 周囲はあえて触れないようにしてくれているのか、妙に丁寧な声かけが続き、空気はずっと張りつめたままだった。
 終業チャイムが鳴っても、まだ胸の奥がざわざわしていた。
 言ってよかったのか、それとも言いすぎだったのか。
 あの一瞬だけは確かに後悔していなかったはずなのに、時間が経てば経つほど自信が揺らぐ。
 そうして帰り支度をしていたときだった。

「おつかれ」

 ふと振り向くと、成川さんがエレベーターホールの壁にもたれて立っていた。

「お疲れ様です」
「ずいぶんと立ち向かってたな」

 何の前置きもなくそう言われ、思わず立ち止まる。

「あ……聞こえてましたか」
「ちょうど経理部に顔を出したタイミングだったから」
「それは……お見苦しいものをお見せしました」

 顔が熱くなる。恥ずかしさと、思い出した緊張が一気に押し寄せてくる。
 でも、成川さんは落ち着いた声で、まるで何でもないことのように言った。

「かっこよかったよ」

 その一言に、何かがほどけた気がした。

「かっこよかったですかね……なんか、暴れるだけ暴れて、収拾がつかなくなっただけだと思うんですけど」

 肩の力が抜けて、私の声も少しだけ笑っていた。

「あれだけ言っても足りないぐらいだろ」

 言葉こそあっさりしているけど、声の色がどこかあたたかい。
 視線は逸らし気味なのに、言葉はまっすぐに届いてくる。

「ずっと我慢してたんだから」

 そう言われたとき、胸の奥に隠していた何かが、ふっと浮き上がった。
 わかってくれる人がいるって、こんなに救われるんだ。
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