恋のレシピは、距離感ゼロで無口な先輩と
 そのときも洗練された雰囲気が印象的だったけど、今こうして見ると、酔って泣いていてもなお品があって美しい。

「関係ないでしょ、放っておいて」
「迷惑かかってるだろ」

 成川さんは、彼女の背中を支えるように手を回し、「とりあえず、落ち着け」とだけ言った。
 慣れた手つき。迷いのない言葉。
 これまでにも、何度もこうして彼女を支えてきたのだろう。
 ただの知り合いという距離には、とても思えなかった。

「いいから帰れ」

 成川さんのその声が、妙にやさしくて、突き刺さった。
 誰にでも向けるような声ではない。特別な誰かにしか、あんなふうには言えない。
 胸の中で何かが静かに沈んでいく。
 聞きたくない。知りたくない。
 だけど、目の前で起きていることから、目を逸らすことはできなかった。
 私は急いで店員にタクシーを呼んでもらい、成川さんのそばに駆け寄った。

「タクシー来たみたいです」

 自分でも驚くほど冷静な声だった。
 でも、指先は少しだけ震えていて、それを悟られないように強く手を握った。
 湊さんは成川さんの肩にもたれかかりながら、弱々しく涙を流し続けている。

「……ひとりで乗せるのは危ないと思います。成川さん、一緒に乗ってあげたほうがいいですよ」

 言葉が少し震えていたけど、なんとか笑顔を作った。

「でも──」
「きっと心細いと思うので」

 遮るように言ってしまった。
 自分で言いながら、心のどこかが軋むのを感じる。
 でも、それでも彼女が不安そうにしているのを見たら、放っておけなかった。
 成川さんは一瞬、こちらを見た。
 目が合う。

「……橘」

 私の名前を呼んだ声には、微かなためらいが混じっていた。
 何かを言おうとしているようで、でも言葉にはならない。
 その口をつぐんだまま、成川さんは一つ息を吐いた。

「わかった。送る」

 それだけ言って、湊さんの肩を抱きかかえるように支える。
 彼のスーツの袖口が、彼女の濡れた頬にそっと触れた。

「ごめん、また明日」

 成川さんはそう言って、タクシーへと歩いていく。
 私の隣を通り過ぎるとき、一瞬だけ立ち止まりかけた彼の背中。
 その、何でもないようでいて、どこか引っかかる動きが、いつまでも視界に残った。
 成川さんは一瞬だけ私を見て、何かを言いかけたけれど、何も言わなかった。

「……また明日」

 そう残して、女性を支えながら、夜の街に消えていった。
 私はその背中を見送ることしかできなかった。
 グラスに残った氷はもう溶けて、薄まったお酒だけが残っている。
 ああ、好きって言わなくてよかった。
 もし伝えていたら、今、どれだけ惨めだっただろう。
 そう思ったら、少しだけ、苦笑がこぼれた。
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