サルビアの育てかた
 ふと気がつくと、あの黒猫はボンネットから姿を消していた。

 そのとき、懐の中で携帯電話が着信音を鳴り響かせる。確認すると──電話の相手はフレアからだった。
 力なく通話に出ると、フレアは優しい声が聞こえてくる。

『ヒルス、大丈夫?』
「……ああ」
『……大丈夫なわけないわよね。話はジャスティン先生から聞いたわ。今、スクールとスタジオのみんなでレイを捜してる』

 夜遅くにも関わらず、仲間たちが総出で協力してくれているのか。こんなにも人に迷惑をかけておいて、あいつはどこでなにをしているんだ。
 この感情は憤りでも苛つきでもない。ただただレイが無事であって欲しいだけで。
 事態が何も進展しないことに不安という二文字が俺の心を蝕んでいく。

『レイの顔写真もスタジオのみんなに共有させてもらったわ。勝手なことしてごめんなさいね』
「いや、いいんだ……。俺の方こそごめん。フレアたちに迷惑かけて」
『あなたの大事な妹だもの。いざってときに頼れるのが仲間ってものでしょう?』

 思いやりが溢れる言葉に、俺は今まで我慢していたものがそこで一気に爆発してしまった。

「フレア……俺……」

 頬に冷たい雫が流れ落ち、声までもが勝手に震えてしまう。今の俺がどんな心情なのか、顔が見えなくてもこれではフレアにバレバレだ。恥ずかしくてたまらなかった。

「もう、どうすればいいか分からないんだ。このままレイが……見つからなかったら。もう二度と、あいつに会えなかったら。そう考えると怖くて。俺、おかしくなりそうだよ……!」

 どうしようもない奴だと思われただろう。成人した野郎が電話越しでこんなにも弱音を吐きまくっている状況など反吐が出る。

 それでも俺にとってレイは、いなくなると心がぐちゃぐちゃになってしまうほどなくてはならない存在なんだ。
 反抗期がどれだけ続いたっていい。褒めるとすぐ調子に乗る奴でも全然構わない。怒ったり喜んだり、笑ったり泣いたりするレイが、元気に戻ってきてくれるだけでいいんだ。
 世間から見れば俺たちは兄妹という関係だが、実際はそうじゃない。俺の中でレイは妹でもなく、友だちでもなく、恋する相手でもなく、もっとそれ以上の深い深い存在なんだ。
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