サルビアの育てかた


 翌日。
 通常通り俺はダンススタジオに出勤した。練習場には、いつものようにストレッチをして準備をするフレアの姿があった。他のインストラクターたちはまだ来ていないようだ。

 こちらの存在に気づくと、フレアは鏡越しで俺のことをじっと見つめてくる。

「おはようヒルス」
「あ、ああ」

 普段、二人で他愛ない会話を交わしながら隣に並んでストレッチをするのが日課だったりする。だけど今日はそんなことをする気にはならない。

 我ながら不自然に思う。彼女から背を向け、スタジオの隅で俺は黙々と準備運動をしているのだから。

 ふと鏡を見ると、フレアと視線がバッチリ合ってしまった。俺の気まずさの水準がマックスに到達する。
 フレアの唇を見ると、あの、なめらかな感触が蘇ってしまうんだ。
 別にあれが初めてのキスなんかじゃない。俺だって過去にガールフレンドくらいいたわけで。それなのに、どうしてちょっとキスをされただけでこんなにも身体が熱くなってしまうのか。
 深い深いため息が漏れる。

(何をこんなに意識しているんだ、俺は……)

 しんと静まり返る練習場。
 ああ、早く。誰か。来てくれ。
< 179 / 847 >

この作品をシェア

pagetop