サルビアの育てかた


 翌朝目覚めると、すでにレイの姿がなかった。今日も朝早くからダンススタジオへ踊りに行ったようだ。
 レイは不在だが、その代わりに叔父のジェイクが俺の部屋に来ていた。いつも朝食はホテルで済ませているのに珍しい。
 向かい合って、朝食後の紅茶であたたまる。

「ヒルス、今日は何時までスタジオだ?」
「まだ練習だけだからな……午後の三時には終わるよ」

 軽く頷くと、叔父はカップをそっとテーブルに置いた。

「スタジオ帰り、ドライブでも行こう」
「ドライブ?」
「気晴らしにな」
「まあ……いいけど。でも今日レイは遅くまで帰らないらしいぞ。友だちと約束があるとか言っていたな」
「レイはいいんだ。お前に話したいことがある」

 叔父のその言葉に、俺は唐突に理解した。きっとレイの引っ越しの件で話があるのだな、と。

「それなら今ここで話してもいいだろう……」

 俺は無表情で呟く。
 なぜだか叔父は首を横に振るんだ。

「いや、家で話すことじゃない。とにかくレッスンが終わる頃、スタジオまで迎えに行くから。車のキーを借りるぞ」
「どうしてわざわざ」
「いいからお前は何も気にするな。ほら、早く準備をしないと遅刻するぞ」

 時計を見ると、家を出る時間が迫っていた。急いで支度をし、叔父に車のキーを預けてからスタジオへ向かった。

 ──俺はどこまで素直になれないのだろう。
 あの彼女の優しさもあたたかみも、本当は手放したくない。だからちゃんとレイと向き合い、本心も伝えたかった。
「これからも俺のそばにいてほしい」と。
 だけど今の俺には、彼女と一緒にいる資格なんてない。まだまだ気持ちが奥底に沈んだままもがき続けている。

 だから、ダンスのレベルも落ちてしまった。そして何よりも心から笑うことができなくなっていた。
 大切な人たちを失った現実を、俺はいつになったら受け入れられるというのだろう。
 レイまで手放さなければならない俺は、これからまともに生きていけるか分からなくなっていたんだ。
< 371 / 847 >

この作品をシェア

pagetop