サルビアの育てかた


 愛しい人との特別な時間は、無情にもあっという間に過ぎ去ってしまうもの。

 フラットへ帰り、たちまち現実へと引き戻された。明日からまた忙しい日々が待ち受けている。

 籠った空気が満ちた匂いが何となく苦手で、俺は帰宅するなり部屋の窓を全開にしていく。

 するとレイが慌ただしく駆け寄ってきて、バルコニーの方をじっと眺めるんだ。どことなく悲しそうな声を出してぽつりと呟く。

「……やっぱり」

 レイはゆっくりと、窓の外へ出る。力なくバルコニーに座り込むと、何も言わなくなってしまった。

 彼女の目線の先には、大切に育ててきた『サルビア』があった。しかし、最後に残っていた一輪の花びらと葉は完全に茶色に染め上がり、力なく枯れ果てていたんだ。

「……レイ」

 彼女の隣にしゃがみ、俺はそっとレイの肩に手を置く。微かにレイの体が震えている。それは、寒さからではないのだとすぐに分かった。

「とうとう枯れちゃった」

 レイの声は、冷たい風にかき消されてしまう。それでいて、とてつもないほどの切なさで溢れていた。

「お母さんが残してくれた『サルビア』から採った種で育ててきたのに……。全部、枯れちゃった。もう何も、残ってない……」

 生命を失った花をそっと撫でるレイを前にして、俺はどうしようもない気持ちになる。そっと、彼女の肩を抱き寄せた。

「お母さんのお花は、特別だった……。私も愛情いっぱいに育てていけば、枯れることはないのかな、なんて考えていたの。でも、やっぱり難しいね」

 灰色の雲が広がる寒空。冷えきった雫がポツポツと静かに音を立てながら、俺たちの周りを荒らし始める。
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