サルビアの育てかた
「何だよ、それ」
「ご褒美にハグすることだよ」
「それは分かるけど」
「あれ、ヒルス。どうして照れてるの?」

 レイを抱きしめる際、俺はいつも衝動に任せて行動しているんだ。改めて言われてしまうと、恥ずかしくて体が動かなくなる。

 いつまでも固まっている俺を見兼ねたのか、レイは両手を下ろし後ろを向いてしまった。

「したくないなら、別にいいよ」

 拗ねたような言いかた。頬を少し膨らませているのが、後ろ姿だけでも分かる。そんなレイを見た瞬間、俺はいつもの感情が沸き上がった。

「レイ、可愛い」

 俺は欲求のままに彼女の後ろ姿を全身で抱き寄せる。

 一日中引越し作業に追われていて、レイとずっと一緒にいたのに、ゆっくりする時間がなかった。だからレイとの【ご褒美ハグ】がいつも以上にたまらなく、愛しく感じるんだ。
 彼女がゆっくりと俺の方を振り向き、お互いの吐息が肌に触れるほどの距離になる。目を瞑り、そっと唇を重ねようとした──その瞬間。

 部屋中に、レイのスマホの着信音が大きく鳴り響いた。

 レイと俺の唇は重なることなく、ぱっと離れていってしまう。

「あ、ごめんヒルス……」
「いいよ。電話、出て」
「うん」

 テーブルの上でバイブレーションと共に着信の知らせをするスマホを手に取り、レイは画面を見るなり首を傾げる。

「あれ、ジャスティン先生からだ。珍しい」

 レイは通話ボタンを押して、電話を耳元に当てる。電話口で陽気なジャスティン先生の声が微かに聞こえてきた。

『レイちゃん、引っ越しの片付けは終わったかい? ごめんね、忙しい時に! 実はスクールに君宛の荷物が届いたんだよ。早めに取りに来てもらったほうが良いと思って連絡したんだ──』

 俺はレイが通話をしている間、整理しきれなかった箱を別の部屋に移動させた。
< 690 / 847 >

この作品をシェア

pagetop