サルビアの育てかた
 帰宅後、休む暇もなくレイは夕飯作りに取り掛かった。黄色いエプロンを身に着けて、手を洗ってから冷蔵庫の中を眺めている。

(レイのエプロン姿、可愛いんだよな……)

 一生懸命夕飯のメニューを考えているレイの後ろ姿が尊い。
 もしも今、彼女と普通の恋人同士だったら。何の躊躇いもなく、俺は彼女の背中を抱き締めるのに。

 欲を必死に抑え込み、俺はコートを脱いでキッチンで手を洗う。

「ヒルス、今日は何食べたい?」
「何でもいいよ」
「その答えが一番困るんですよねぇ」

 レイはわざとらしく頬を膨らませて俺の方を振り返る。

(そんな顔するな。キスしたくなるんだよ……)

 たまらず目を逸らした。
 本当にやめてほしい。これでは俺はまた彼女に翻弄されているじゃないか。

 小さくため息を吐き、ポツリと呟く。

「あんまり腹減ってないから、別に食べなくてもいいかな……」

 最近食欲すらも落ちてしまっている俺の本心だった。昼間はバーガーショップでガッツリ食べてしまったし。

 ほんの軽い気持ちの発言だった。
 俺がどんな態度を取っても、常に笑顔を絶やさなかったレイの表情が、この時ばかりは見る見るうちに暗くなっていく。

「……どうして」
「え?」
「どうして、そんなこと言うの? 私、ヒルスと一緒に夕飯を食べる時間が好きなのに」

 明らかに落ち込んでいる声だ。
 俺は面食らってしまう。

「いや、違うんだ。少し食欲がないだけで。レイが作ってくれたものならちゃんと食べるから」

 不愉快な心情が見て取れる。

 ──参ったな。レイを怒らせると、何をするか分からない。また衝動的に家から飛び出してしまうかもしれない。

 しかしそんな心配は不要だった。
 レイは背を向けて材料をテーブルに並べ始める。「先にシャワー浴びてきなよ」なんて呟きながら。

(レイ……怒ってるわけじゃないのか)

 彼女の後ろ姿はどことなく寂しさに包まれている気がした。
< 747 / 847 >

この作品をシェア

pagetop