サルビアの育てかた


 ある日のスクール終わり。
 俺は一人、練習場の鏡の前で呆然と立ち尽くしていた。
 いつもなら月二回あるスクールでの仕事が終わればすぐに帰り支度を済ませ、レイが着替え終わるのをエントランスで待っている。

 それなのに──もう、二度とあいつをバイクの後ろに乗せてスクール後に実家へ帰ることはなくなった。
 そう考えると、強烈な虚しさに襲われる。

「ヒルス」

 不意に背後から声を掛けられる。
 ──メイリーだ。腰に手を当ながらこちらを眺める姿が鏡に映る。

「まだ帰らないの?」
「ああ。いや。そろそろ帰るよ」

 ダメだ、全然覇気のない返事になってしまった。俺らしくない。

「レイ、辞めちゃったんだね」
「まあな。ちょうど、そのことを考えていた」
「……寂しいの?」
「まさか」

 俺は焦って首を大きく横に振った。

 ──そう。俺の説得も虚しく、結局レイはダンススクールを辞めてしまったんだ。理由を教えてくれることもなく、なぜか距離も取られている。連絡をしても、実家に帰ったときでさえも、彼女には無視されてしまう。

 肩をすくめ、俺は重い口を開いた。
 
「あれだけダンスを楽しんで、本気で取り組んできたのに。どうして突然辞めていったのか全然分からなくてな。残念で仕方がない」
「そっかあ。ヒルス、知らないんだね」
「メイリーはあいつから何か聞いているか?」

 俺が振り向くと、メイリーはどこか遠くの方を見やっていた。それから小さく首を振る。

「あたしも……よく分かんない」

 期待外れの返答だった。
 何をしたって、今のレイが素直に理由を教えてくれるとは到底思えない。

「──僕も、すっごく残念だよ!」

 暗い気持ちになっていると、練習場に今度はジャスティン先生がやってきた。

「ついこの前まで、レイは今年の大会にもエントリーしたいと言っていたんだよ。相当な努力をしてきたはずなのに……」

 声を震わせながら先生は頭を抱える。レイがいつか個人大会で優勝する日を願っていたから、相当悔しいのだろう。
 先生の前に立つと、メイリーは明るい声で言った。

「でも本人が辞めたいって言っているんだから、もう仕方のないことですよ。これからの大会は、レイの分まで……ううん、それ以上にあたしが頑張ります! イベントでのセンターやソロも任せてくださいね!」
「そうだねぇ……。うん、君にも期待しているよ」

 先生はそう言うが、表情からして空元気のようだった。
 俺も同じだ。
 レイがスクールを辞めてしまったのがどうしても納得できずにいる。残念で悔しくて、居たたまれなくなって、心が沈んで。こんな気持ちをどこにもぶつけられず、どうしようもなかった。
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