【番外編】孤高の弁護士と誓いの光 — 未来へ紡ぐ約束
カレー、か。

あの甘えた声で耳元に囁かれたのは、ほんの数分前のことだった。

「今日、カレー作ってあげるから。機嫌直して?」
そう言って見上げてきた彼女の顔を思い出せば、自然と表情が緩んでしまう。

——なのに。

(……まだ、モヤモヤしてる)

隼人は、オフィスのフリースペースの端に腰を下ろし、ノートパソコンを開いた。

裁判関係の報告書、刑事事件の証拠整理、依頼人への進捗報告文……どれも片付けねばならない仕事は山積みだ。

だが、頭の片隅ではどうしてもさっきの応接室でのやりとりが、静かに尾を引いている。

佐藤。

紬の部下の名を、心の中で繰り返す。

(新人だってのはわかってる。紬が面倒を見るのも当然だ。仕事だ。なのに——)

「よっ、一条〜」

軽い声とともに、向かいの椅子にひょいと腰を下ろしてきたのは、同期の児玉だった。
隼人は手を止めずに視線だけを上げる。

「打ち合わせ、どうだった? ……成瀬さんも一緒だったんだろ?」

ニヤついた顔。わざとらしい口調。
何を聞きたいか、全部バレてるつもりで話してくるのが、余計に癪だった。

「普通に終わったけど」

簡潔に返す。
キーボードを叩く手を止めず、語気も強めず、ただ短く。
だが、児玉はそれで引くタイプじゃない。

「いや〜、成瀬さん、新人くんのこと天塩にかけて育ててる感じだったなあ。
さっきもピッタリくっついて歩いてさ、あれが“犬系男子”ってやつ?
あの感じ、隼人には出せないでしょ〜?」

──カチン。

一瞬だけ、手が止まる。

隼人は、顔を上げることなく低く言い放った。

「……口動かしてる暇あんなら、手動かせよ」

その声に込められた僅かな棘を、児玉は敏感に察知したらしい。

「ひえぇっ、こわ! 出たよ一条先生の圧〜!」とおどけた声を残し、
クルリと踵を返して事務所の奥へと引っ込んでいった。

──静寂が戻る。

(……俺、そんなに顔に出てたか)

隼人は溜息をつきながら、もう一度キーボードに指を乗せた。
画面の文書を睨みつけながらも、頭の片隅にはあの笑顔がちらついて離れない。

(……帰ったら、ちゃんと甘やかしてもらうか)

自分でそう思ったくせに、また苦笑がこみ上げてくる。

嫉妬という感情の扱いには、どうもまだ慣れそうにない。
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