眠れぬ夜は、優しすぎる刑事の腕の中で。
花音は、ゆっくりとキッチンに向きながら言った。

「夕食、私作りますよ。いただいた野菜も使ってみたいし」

すると、ソファに腰を下ろした匠が、少し身を起こしてこちらを見た。

「……あまり無理しないで。まだ本調子じゃないでしょ」

その気遣いが、どこまでも自然で、でもちゃんと私を見てくれていることが伝わってきて──
胸の奥が、じんわりとあたたかくなる。

「うん、でも……なんていうか、お礼がしたくて」

そう言うと、匠は一呼吸置いて、ニッと笑った。

「お礼は、君の笑顔でいいよ」

──甘い。
しかも、わりと真顔で言ってるのがズルい。

思わず、顔が熱くなるのを感じながら、

「……たくみさん、切り替え早くないですか?」

とツッコミを入れると、彼は肩をすくめながら、さらっと返してきた。

「うん。心の中ではだいぶ前から切り替わってたし」

そう言って、ソファの背にもたれながら、茶目っ気を含んだ視線をこちらに向けてくる。

「なにより、合法的に花音にちょっかい出せるってことだし」

「……」

言葉が出なくなる。けど、心はなんだかくすぐったくて──
私は思わず、まな板に向かってごまかすように笑ってしまった。

「じゃあ、ちょっかい出されてもいいように、ちゃんと野菜切っときますね」

「お、それは楽しみだな」

「何がですか」

「全部」

振り返ると、匠はどこか子どもみたいな顔で、少し恥ずかしそうに笑っていた。

こんなふうに誰かとキッチンに立つこと、
こんなふうに自分の気持ちに、ちゃんと笑えること。

少し前の自分には、想像もできなかったな……と、包丁を手にしながら思う。

そして、匠に見えないように、そっと口元を綻ばせた。
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