眠れぬ夜は、優しすぎる刑事の腕の中で。
「まさとくんが抱っこされている警察官と離れたくない」と泣きじゃくるので、佐原花音は彼を抱っこしたまま、警察官たちと今後の対応について静かに言葉を交わしていた。

そのときだった。

――突き抜けるような、鋭い声が夜の静寂を裂いた。

「まさと! まさと!!」

声のする方を振り返ると、パジャマ姿の女性が暗がりを走ってくるのが見えた。髪は乱れ、表情は明らかに取り乱している。

岡田が一歩前に出て制止した。
「お母さん、落ち着いてください!」

しかしその瞬間、花音の腕の中のまさとくんが泣きながら叫んだ。
「ママ! ママああ!」

女性の目が潤み、まさとくんへ駆け寄ろうとするのを、花音がやわらかく間に入りながら声をかける。
「まさとくんのお母さんですか?」

女性は息を切らしながら頷いた。
「はい……安藤です。あの……8時頃に寝かしつけて……私も疲れてて、そのまま一緒に寝ちゃったんです。起きたら……23時近くて……隣にいなくて、鍵もちゃんとかけたはずなのに……!」

話すたびに震える声。
ぽつぽつとこぼれ落ちる涙。

「本当に……どうしようかと思って……見つかってよかった……」

安堵に揺れる母親の目に、花音はそっと頷く。警察官たちと目を合わせてから、彼女のもとへまさとくんを引き渡した。

「ママ、ごめんなさい……パパ、さがしたの。パパ、いないから……」

小さな身体を母に預けながら、まさとくんは震える声でそう言った。

母親はその言葉を聞いて、ぎゅっと彼を抱きしめる。
「……ごめんね。パパ、夜勤なの。お仕事中なの」

その言葉に、現場にいた警察官たちの視線が一瞬交錯する。

岡田が一歩前に出て確認した。
「お父さんのお仕事は?」

「警察官です。安藤賢介、刑事課で……今夜も勤務に出てます」

その名に、警察官たちの空気が少し変わった。
緊張が抜け、胸をなで下ろすような静かな安心感が広がっていく。

「本当に……本当にありがとうございました。ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」

母親は深々と頭を下げたまま、眠りについたまさとくんを抱きかかえ、ゆっくりとその場を後にした。

交番の警察官が、ほっとしたように言った。

「何事もなくて、良かったです。じゃあ、こちらも引き上げますね」

赤色灯が再び静かに回り始め、パトカーは住宅街をゆっくりと離れていった。

花音は、少し背筋を伸ばしてから岡田に言った。

「ほんと、こういう事案って珍しいですけど……何もなくて、よかったです」

「ですね。まさか、警察官のご家庭とは……」

岡田は肩をすくめながら、やや小声で付け加える。

「安藤刑事には、僕から一報入れておきますので。おそらく、無線にはまだ情報が上がってないでしょうし……」

「……助かります。ご家族の安心にも繋がりますね」

そう答える花音の表情は、ふっと緩んでいた。

「共働きも多いし、夜にどちらかがいないって、やっぱりこういうリスクがあるんですね。僕も、今後気をつけようと思いました」

「……あれ? お子さん、いらっしゃるんですか?」

花音が素直な疑問を口にすると、岡田は照れたように笑った。

「いえいえ。独身ですし……まったく予定もありませんけどね」

その言葉に、花音はふっと吹き出してしまった。
(面白い人だな……)

そう思いながらも、岡田のささやかな下心にはまるで気づかないまま、
自分の車に向かって歩き出すのだった。

——住宅街の静けさが戻り、夜の風が頬をなでていた。
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