眠れぬ夜は、優しすぎる刑事の腕の中で。
日中の暑さがまだ残っているけれど、窓から吹き込む風には少しひんやりとした秋の気配が混じっている。

この時期特有の、季節が入れ替わる静かなざわめきが、部屋の中にも漂っていた。

冷蔵庫から食材を出し、エプロンを結ぶ。

「仕事終わりのたくみさんが、ちゃんとお腹いっぱいになりますように」と心の中で唱えながら、手を動かす。

フライパンでひき肉を炒める。豆板醤、コチュジャン、ごま油の香ばしい香りが立ちのぼる。

もやしはさっと茹でてナムルに。ほうれん草も胡麻と和えて、彩りを加える。

スープは乾燥わかめを戻しながら、やさしい味に仕上げるつもり。

ふたりぶんのビビンバの具が、器の中で整然と色を並べていく。

「よし、あとはごはんを盛るだけだな」と呟いたそのタイミングで、インターホンが鳴った。

たくみだ――。

直感的にそう思って、つい足早に玄関に向かう。
ドアを開けながら、声が自然に漏れる。

「おかえり」

けれど。

「確認しないで開けたらダメでしょ。習慣にしなきゃ」

ドアの向こうに立っていた彼は、制服ではないけれど、少しだけ“おまわりさん”の顔だった。

「……はい、すみません」

ぺこりと頭を下げると、彼はちょっとだけ眉を緩めて靴を脱ぎ、玄関を上がってきた。

「なんかいい匂いするな」

「ビビンバと、スープ。すぐ食べられるよ。座ってて」

キッチンから器を運びながら、ふと心がじんわりと温かくなる。

今日は“会いたい”って、先に言ってくれた。

そんな一言だけで、こんなにも部屋の空気が変わるなんて。

ふたり並んでごはんを食べるこの時間が、当たり前じゃないことを、私は知っている。

それでも――今だけは、このささやかな食卓が、世界でいちばん安心できる場所のように思えた。
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