眠れぬ夜は、優しすぎる刑事の腕の中で。
「ねぇ……明日、仕事行きたくない……ずっとたくみといたい……」

キッチンのカウンター越しに、花音がぼやく。
彼女の手は動いているけれど、口元はふてくされたように結ばれている。

匠は洗い終わった皿を軽くすすぎながら、ちょっと笑った。

「おお、いいね。サボりたくなってきたら、人間らしくなってきた証拠だよ。」

「……人間らしくなったところで、また現実に引き戻されるんだけど。」

花音がため息まじりに言うと、匠は「これも現実だしね」と返して、流しの水を止める。

「大変な案件は今ないの?」

「うん……とりあえず“良くも悪くも”って感じ。
もしかしたら、警察と連携する案件も出てくるかも。ボーダーライン上ってとこ。」

それを聞いた瞬間、匠の表情がぴりっと引き締まった。
そして、まだ手に水滴がついたままの状態で、ぐっと花音を抱き寄せる。

「もうあんな花音、見たくないから。意識遠のいてたあの日、ほんとに見てられなかった。」

その声は、冗談じゃなく、本気のものだった。
花音はびっくりしながらも、彼の胸に顔を寄せた。

「……じゃあ今度は、堂々と助けてね。もう新田さんも知ってるんでしょ?どうせ。」

「もちろん。生活安全課のほぼ全員、知ってると思うよ。」

「えっ、ちょっ……そしたらさ、私、児相で出動したとき、そういう目で見られるじゃん!さいあく!」

「最高じゃん。俺の彼女が現場に来て、しかもちゃんと仕事してるとか最高。
それに、守りきれなかったら俺が黙ってないからな。俺、ちゃんと階級あるんで。」

「……そういえば、たくみの階級って何?」

「警部補。」

「警部補って……すごい?」

「うーん、まあ年齢相応かな?真面目だったから、俺。」

「え、それ自分で言う?」

「真面目って、たまには自分で言っとかないとさ。
後輩たちには“猫好きの甘々上司”って言われてるから、バランス取らないと。」

花音は、ふふっと笑って、また一枚食器を拭いた。

「じゃあ“真面目な警部補”に、今日は感謝して朝ごはんいただきましたって報告しとく。」

「やめて、照れる。」

「今さら?」

肩が触れるたび、なんでもない日常が、すこし特別になる。
皿の枚数が減っていくキッチンに、ふたりの笑い声が静かに溶けていった。
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