眠れぬ夜は、優しすぎる刑事の腕の中で。
週の始まり、午前10時。
児童相談所内の小会議室で、定例のケース会議が始まった。
出席者は、ケースワーカーたちとチームリーダーの三宅、そして係長の朝岡。
花音もその一員として、報告書と資料を手に席につく。

「それでは、赤尾悠真くんのケースについて、佐原さん、お願いします」

三宅の促しにうなずいて、花音が立ち上がった。

「赤尾悠真くん、小学2年生。
母親・香澄さんは現在、単独で養育中。
これまでの家庭訪問は2回居留守、先日ようやく初めて面会できました。
家の中に市販の鎮咳薬がありましたが、本人・悠真くんともに咳などの症状は確認できておらず、母親のオーバードーズの可能性を疑っています」

朝岡が眉をひそめる。

「眠れてないって、言ってたんだよね?」

「はい。母親は“悠真が夜泣きする”“全然寝られない”と繰り返していました。
表情や言動にも疲弊が見られました。
子どもの登校はできているようですが、母子ともに不安の蓄積が進んでいると見ています」

「学校との情報共有は?」と三宅。

「はい。加納校長から、市川教諭が疲弊して休職に入ったと最新の情報を受けています。
学校からの協力も限界に達しているとの話でした。
学校側への負担軽減として、スクールカウンセラーへの個別支援依頼を提案済みで、今週中に教育委員会を通じて配置可能か照会します」

「医療機関は?」

「香澄さんがかつてかかっていたクリニックに連絡を取りました。
現時点ではケースワーカーの空きがなく、代わって臨床心理士の中島さんと連携しています。
今後、本人の同意が得られれば、再通院の提案も視野に入れます」

三宅が静かにうなずく。

「これはもう、リスクレベルを引き上げた方がいいな。ODの兆候があるだけでも要注意。
香澄さんの精神状態は不安定だし、悠真くんにも既に影響が出ている。
拒否的な母親の態度も含め、ケースの優先度を上げましょう」

朝岡も補足する。

「電話連絡の頻度、増やして。
家庭訪問も最低週1で様子見たい。
タイミング次第ではスクールソーシャルワーカーにも同席を打診して。学校の安心も確保したい」

「はい、了解しました」と花音。

三宅が目を細めて花音に視線を送る。

「佐原さん、連携はしっかりしてる。
でもこのケースは、一つ間違えば母子ともに崩れる危険性がある。油断しないで」

「……はい」

花音は気を引き締めるように背筋を伸ばした。

頭の中では、香澄の疲れた表情と、机の上に無造作に置かれた咳止めの箱が重なる。

“あの家庭を崩壊させないために、自分に何ができるか”

次の一手が、未来を大きく左右することを、花音は痛いほどに理解していた。
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