眠れぬ夜は、優しすぎる刑事の腕の中で。
午後。
花音は一度深呼吸してから、赤尾家に電話をかけた。
コール音が何度か鳴ったあと、「……はい」というかすれた声が聞こえた。

「赤尾さん、こんにちは。杉並児童相談所の佐原です。この前はお時間ありがとうございました。来週、またお伺いしたくてお電話しました」

一瞬の沈黙の後、「……来週なら、午前中なら」と返ってきた。

ほっと、胸が少しだけ緩む。
以前はまったく電話に出なかった母親が、応対し、訪問に応じてくれた。

「ありがとうございます。ご無理のない範囲で、お話できればと思っています。どうぞよろしくお願いします」

電話を切ったあと、花音はそのまま学校に連絡を入れた。
対応に出たのは校長の加納だった。

「赤尾悠真くんについてなのですが、副担任の藤原先生のご様子は、いかがでしょうか?」

加納は、少し口を濁しながらもこう答えた。

「藤原も正直、かなりしんどそうです。本人は気丈にしていますが、無理が続いている状態です」

花音はすぐに言葉を返す。

「ありがとうございます。もし今後の対応が難しければ、無理に関わっていただく必要はありません。その旨、先生にも必ずお伝えください。学校のご負担を最小限にする形で、私たちが動きます」

電話を終えたあと、花音はすぐに医療機関とのやり取りにも目を通す。

中島からの報告には、こうあった。

「香澄さんには、心理療法と薬物治療の選択肢があることを丁寧に説明しました。通院はいつでも可能ですし、今すぐでなくても“いつでも待っている”と伝えてあります」

香澄がその言葉をどう受け取ったかは、まだわからない。ただ、選択肢が提示されたこと、誰かが「あなたを待っている」と言ってくれていること。

それは、届かなくても「存在する」支えだった。

その時、ふと――

(警察には、今は頼ることはない)

ふっと花音の頭に浮かんだのは、夜にタルトタタンを持って来てくれた匠の顔だった。

なにも言わなくても察してくれる、優しい目。

(でも、心の中には……たくみがいる)

安心を仕事に持ち込んではいけない。
けれど、あの温かさが、明日ももう一歩前に進む力になることを、花音は知っていた。
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