眠れぬ夜は、優しすぎる刑事の腕の中で。
家庭訪問を翌日に控えた夜。
花音は児相の当直室で、デスクの端に置いた携帯をじっと見つめていた。

赤尾香澄。
昨日から電話に出ない。

香澄の「いなくなってもいい」という言葉が脳裏を離れない。
だから今日も、20時ちょうど、再び電話をかけた。
呼び出し音が鳴り続ける。——やはり、出ない。

(明日……どうなる)

嫌な胸騒ぎを抱えたまま、花音が通話を切ろうとした、その瞬間。

——プルルル……プルルル……

所内の固定電話が鳴った。夜の静まり返った執務室に、機械的な音が響く。

「……はい、杉並児童相談所、佐原です」

「……杉並署生活安全課、新田です」

その声を聞いた瞬間、花音の心臓が跳ね上がった。
警察からの連絡——まさか、通報?

「……はい、どうされましたか?」

新田は落ち着いた声で告げる。

「出動要請ではありません。落ち着いて聞いてください。
杉並区内にて、“赤尾香澄”および児童“赤尾悠真”に関して、交番に軽微な通報が入りました。
生活安全課としての臨場はありません。今回は交番員の現場対応で完結しており、危険性はないとの判断です」

「……内容を、お聞かせいただけますか」

「はい。近隣住民より、『子どもの泣き声と、物音が何度かして気になった』との通報でした。
しかし、対応した巡回員の報告では、インターホン応答なし、室内からの物音も確認されず、不在の可能性ありと判断されています」

花音は息を詰めていた。
“泣き声”“物音”“応答なし”
——これがただの気のせいであってほしい。
だが、これまでの経緯を考えると、無視できない。

「ありがとうございます。……今、ご報告いただいた内容、しっかり引き継ぎます。こちらでも慎重に対応を進めます」

「念のため、内部で情報共有しておいてください。必要あれば、再通報もあるかもしれませんので」

「はい……ご連絡、ありがとうございました」

受話器をそっと置いたあと、花音の手はわずかに震えていた。
新田の声は平静だったが、その裏にある現実は、明らかに危うさを孕んでいた。

(……明日、必ず行く)

胸の奥に、かすかに冷たい不安が広がっていく。
香澄の声が聞こえない。
悠真の気配も感じられない。
それでも——踏み込まなければ。

次の訪問で、きっと何かが決定的に変わる。
その確信だけを、花音は今は抱きしめていた。
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