眠れぬ夜は、優しすぎる刑事の腕の中で。
玄関のドアを開けると、わずかにこもったような空気が流れ出た。
重たく湿った気配。だが、それが何なのか、すぐにはわからない。

「……失礼します」

靴を脱ぎ、そっと室内に足を踏み入れる。
いつものように、リビングの方へ向かおうとしたそのとき――ふらり、と軽くめまいがした。

(……あれ?)

頭が重い。

こめかみのあたりがずきりと痛む。

当直明けの疲れが一気に押し寄せてきたのかと、一瞬そう思った。

けれど、胃の奥が妙にむかつく。

吐き気のような感覚がゆっくりと這い上がってくる。

(おかしい……)

廊下を進むと、奥の方、部屋の隅に人の姿が見えた。

「――香澄さん……?」

声が震えた。
花音はよろめくように、床に座り込んだ女性の元へ近づく。

香澄だった。

壁に背を預け、かすかに首をうなだれている。

呼びかけても反応はない。

(まさか……!)

そのとき、鼻をつく異臭に気づく。
焦げたような匂い。

視線を走らせると、足元に――燃えた形跡。

黒く変色した金属製の器が見える。

(――これは……)

全身の血が引いた。
頭がぼんやりとして、視界の端がにじむ。
思考がまとまらないまま、それでも体が勝手に動いた。

「……まずい……!」

花音は力の限り、窓へ駆け寄り、カーテンを払い、窓をすべて開け放った。

玄関まで引き返すと、扉を全開にし、自分の靴を間に挟んで閉まらないように固定する。

(悠真くんは……?)

家中を見回す――いない。
姿がどこにもない。
恐怖が喉を締め付ける。

それでも、今は香澄の命を――

震える指でスマホを取り出し、119を押す。

「――救急です。30代女性、自宅内で意識がありません……! 一酸化炭素中毒の可能性があります、住所は東京都杉並区今川4丁目12-8です」

必死に状況を説明しながら、香澄の元へ戻る。そっと頬に触れると、わずかに顔をしかめた。

(生きてる……!)

胸をなでおろす暇もない。

救急が来るまで、一秒でも早く、空気を――助けなきゃ。

花音は、開いた窓から流れ込む風を感じながら、ぐらつく体を壁に預けた。
「……大丈夫、まだ間に合う……絶対、助ける……」

意識の縁がにじんでいく。
あと少し、倒れる前に――救急車が来るまで、もってくれ、私の体。
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