眠れぬ夜は、優しすぎる刑事の腕の中で。
キッチンで鍋の蓋を閉めた瞬間、背後から小さな異音がした。
振り返ると、花音がソファの前で膝を抱えるように座り込み、肩を細かく震わせていた。

「……花音?」

匠が駆け寄ると、彼女の呼吸は明らかに速すぎた。
目は大きく見開かれ、焦点が定まっていない。
口元にはハンカチが当てられているが、その奥から漏れる呼吸音は浅く、かすれたものだった。

――過呼吸だ。

瞬時にそう判断した匠は、彼女の傍にしゃがみ込み、柔らかい声で呼びかける。

「花音、大丈夫。俺がいるから、安心して。怖くないよ」

一度、彼女の手からハンカチを取ってタオルに持ち替え、そっと涙をぬぐいながら、口元を軽く押さえる。無理に止めようとせず、呼吸の乱れを整えていく準備に入る。

「大丈夫、ゆっくりでいい。立てる? 無理はしないで」

花音が微かにうなずいたのを見て、匠はそっと体を支える。
華奢な肩を抱えながら、ゆっくりとベッドへ連れて行く。
腰を下ろさせ、そのまま横たわらせると、自分も枕元に膝をついて寄り添った。

「ここにいるよ。ひとりじゃないから。ね、俺の声聞いて」

匠は、自らの呼吸を深く、誇張気味にしながら見せる。

「一緒に吸って……そう、吸って……今度は、ゆっくり吐こう。そう、うまいよ……ゆっくり、花音のペースでいい」

背中をゆっくり撫でながら、何度も繰り返す。
生活安全課で、何人もの過呼吸を起こした被害者に寄り添ってきた。
ストーカーに怯えた少女。
保護された深夜の少年――
でも、今、目の前のこの人は誰とも違う。
守る理由が、何よりも強かった。

「大丈夫。息はちゃんと戻る。焦らなくていいよ」

静かな時間が流れる中、花音の呼吸は少しずつ整いはじめていた。

匠は、そっと彼女の髪を撫でながら、もう一度、優しく囁いた。

「……楽にしてて。そばにいるから、どこにも行かない」
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